2009年12月30日水曜日

Baffalo DVD Portable ライター

IT進化のスピードに、またも衝撃を感じました。

(またもや、ITの技術進歩に感心しました!)
最近は、国際ITビジネスマンと言うより、一人の「ITギーグ」として感動することが多いです。

そう言うと、「また、Google絡みか?」と思われそうですが、今日は、周辺機器ベンダーのBuffaloの話です。
Buffaloと言えば、無線LANルータとか、USBメモリで有名ですよね。
皆さんも、PCショップに行けば、必ず目にすると思います。
本日は、USB接続の外付けDVD Writerに関して、書きたいと思います。

私は、今まで、DVDをはじめとする光学系メディアに関しては、興味が無く、またNetwork Securityエンジニアとしての仕事にとっても、接点の少ない分野でしたので、あまりキチンと調べた事はありませんでした。
(会社では、GOLDと言うDVDS書き込みソフトを使っており、このソフトは、私の理解ではDVD Writeに関しては、Defact Standard的なソフトウェアです。)

先日、PC Depoで、Buffaloの外付けDVD機器、DVD Portableを6千円で購入しました。
(目的は、Youtubeからダウンロードした動画を、DVD Mediaに焼くこと。)
機器の詳細は、ここです。
↓    ↓    ↓
http://buffalo.jp/products/catalog/storage/dvd_portable.html

使ってみると、これがいいんですね!
まず、値段が安い。使い易い(USB経由のPOE)。
更に、XP/Vista/7に対応している。
あと、最も大切な事だが、「全規格完全対応」を謳っているし、対応Mediaも豊富。
(私の場合は、PC Depoで販売しているNO Brand Mediaを使用したが、全く問題がなかった。)
それと、Designも結構、スタイリッシュだと思う。
強いて言えば、Linux系にも対応してくれると嬉しいし、勿論、来年販売されるGoogle Chrome OSにも対応して欲しいのであるが。。。

兎に角、値段に比した豊富な機能に感動しております。
やはり、ITの技術革新は速い!

2009年12月28日月曜日

本職は、あくまでもキックボクシングです。(笑)

昨日の日曜日に、朝5時起きで、群馬県の川場スキー場に、日帰りスキーに行ってきました。
リフト停止の16時まで、すべりに滑って、帰宅は、午後8時でした。
率直に言って、スキーは好きだし、一シーズンに最低1回はやらないと気が済まないですね。
今シーズンは、あと数回は行きたいと思います。

私のスキーのレベルは、初級レベルだし、同じく、趣味としているスキューバダイビングは、
しょせんリゾートダイバーです。
また、最近、面白さが分かってきた登山(夏の富士山を登ったりしているが)も、気晴らしレベルです。

色々なスポーツをかじっておりますが(高校時代はテニス部だったし、最近はゴルフも)、最近思うのは、
「私の『本職』は、あくまでも空手とかキックボクシングといった格闘技なんだなあ。」という事ですね。(笑)

「その年になって、なんでキックなんか?」と、周りから不思議に思われてたりしますが、
これからは胸を張って言い返そうと思います。
「本職だからです!」と。(笑)

2009年12月23日水曜日

Google Android携帯を購入しました。

またもや、Googleの話を!

ここ10年間以上、ずっとソフトバンクの携帯を使っておりました。
しかしながら、「ソフトバンクのGoogle Android搭載携帯は、来春発売予定!」との、かなりNegativeな記事が引き金になり、私名義で契約していたソフトバンク携帯2台をあっさり解約し、ドコモに変更しました。
(つまり、ITギーグとしては、来春までのんびりと待ってられない!)

ソフトバンクのAndroid戦略関係の記事はココ。→http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0911/10/news028.html

ソフトバンクは、AppleのⅰPHONEの方に注力している様で、どうもAndroidへの関心は低いようですね。。。。
兎に角、現時点で、日本で唯一、Androidに対応しているドコモのHT-03A端末を入手したので、使いこなそうと思います。

この辺の記事はココ。→ http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20090721/1027854/?P=3
Androidを使ったプログラミングを、これから勉強します。
(私のITエンジニアとしての専門は、Network Securityなので、ルーターやFirewall、あるいは、NW管理系サーバー構築と管理にはそれなりに知識はあるつもりです。

一方、プログラミング系に関しては、はやりのPHP+MYSQL+ApachでちょとしたDBサーバーを構築した程度で、きちんとした知識とか経験はありません。)
とは言いつつも、Androidのプログラミングには、Eclipse開発環境が使える様なので、以前、多少JAVAをかじった者としては嬉しい限りです。

とりあえず、この辺の記事から、勉強しております。→ http://www.atmarkit.co.jp/fjava/column/koyama/koyama09_3.htmld
AndroidのHeavyユーザーの方、これから色々と教えてください。
それにしても、Googleはいつも、夢を与えてくれますね。
凄い会社だし、ワクワク感のある会社だ!

2009年12月11日金曜日

汚い話の美談化にはウンザリだ!


俳優の押尾学の違法ドラッグ使用の件です。
 
誰もこの問題の本質を指摘しないで、的外れな事ばかり言っているので、問題意識を持ちました。
芸能関係のニュースは、全く私の専門外だが、誰も指摘しないので、私が指摘します。
 
確かに、MDMAを気軽に使用した押尾は悪い。塀の中で反省し、更生すべきた。
それが社会のルールでもある。
 
ただ、押尾とドラッグを一緒にやって死亡した銀座のホステス女性は、単に自業自得なだけです。
それを、なぜ、「無垢の天使の如きの被害者扱い」されているのかが理解不能。
「押尾が彼女を殴りつけて、口を開かせて、無理やりドラッグを飲ませた」という訳ではない筈で、
何だかんだ言って、自分の意思ですすんで、飲んだ筈である。
 
そもそも、妻子持ちの押尾と危険なゲームをしていたのも、彼女の訳であり、
むしろ彼女の親族は、それを恥じるべき。
なぜ、「親族が堂々とテレビに出て、押尾をなじる事ができるのか?」
「恥はないのか?」と率直に思う。
 
自分の娘の不出来を、どさくさに紛れて、押尾に転化している様で、不快だ。
テレビ報道も、「無垢で天真爛漫な少女扱い」はやめるべきだ。
「押尾も悪いが、このホステスも同じように、悪い。」と言い切る。

2009年12月6日日曜日

貴公子の造語「クラウドマネジメント(CLOUD Management)」


またもや、クラウドコンピューティングの話で恐縮です。
しかしながら、今だ、SIベンダー等のプロも含めて、多くの人が、全く勘違いしております。
このこと自体に、ある意味の失望を感じざるを得ないが、別の意味では、ITの難しさとか複雑さを象徴しているとも言えるのでしょう。
(もっとも私自身が、正確に理解しているのかどうかも100%シュアではないが。。。。)
 
クラウドとは、つまり、雲です。
要するに、「よく分からない雲の中で、すべてが行われている。」という状態です。
そのクラウドコンピューティングに於いて、現時点でトップを走っているのが、Googleなのです。
これが、「どれだけ革命的なことなのか?」を、ITのプロ以外の方に説明したいと思います。
私(哀しみの貴公子)の全くの造語である「クラウドマネジメント」と言う概念を例示しながら、クラウドコンピューティングが、
「IT技術にとどまるものではなく、ビジネスのやり方を根本的に変革する決定打」と言うことを説明します。
また、このクラウドマネジメントを説明することで、クラウドコンピューティングの「クラウド」という言葉の革命的な意味
が理解できるとも思います。
 
現在、多くの日本企業が、人事管理・経理管理・営業・技術と言った業務を、本社組織で行っております。
確かに、多くの企業が、一部の業務(例えば、経理業務)を、中国等の外国の業者に、アウトソーシングをしていたりはしております。
しかし、クラウドの世界(私の造語の世界での「クラウドマネジメント」の世界)は、そんなものではありません。
先程の例では、アカウント業務を「本社会計部門が、中国の特定の会計事務所に依頼する。」という手続きが必要ですが、
クラウドの世界では、会計の仕事依頼を誰かが(本社の会計部門に限らず)、クラウド組織に投げるだけでいい。
つまり、「どこの国のどこのベンダーに投げるか?」は、クラウド組織が決めます。
 
営業活動も同じです。
現状日本のどこの企業も、営業本部は、日本国内にあって、そこから日本本社のスタッフが、海外に営業活動に行ったりしております。
海外現法にも、勿論、営業部隊はあるのでしょうが、それでも、あくまで本社の下請けの位置付けであり、「こんな情報があるから、ムン
バイ支店のスニルさんから営業をかけて下さい。」みたいな指示を、日々出している筈です。
また、現地法人の無いエリア(例えば、アフリカとか)に営業をかける場合は、日本本社サイドで、誰か営業スタッフを人選し、アサインしてい
るのが、多くの日本企業の現実である筈です。
この様に、何だかんだ言っても、現状は、日本企業の場合は日本本社主導であり、アメリカ企業の場合は、アメリカ本社が主導となってい
るのです。
 
クラウドマネジメントでは、ここをクラウド化します。
つまり、その会社のグループの誰かが、「アフリカの某国で、ビジネスチャンスがある!」と言う情報を、クラウドコンピューティングを
使い、組織のクラウドネットワークに報告すると、雲(その会社のクラウド組織)が、適材適所の人材を、世界的なリソースの中から、
自動的にアサインする事となります。
ここで重要な事は、誰をいつアサインするかを、日本本社が決めるのではなく、雲の中で、「自動的に決められる。」と言う点にあります。
 
勿論、物理的なクラウド組織は必要ですが、そのクラウド組織は、時差や交通の便、物価、税制、治安、為替と言った刻々と変わる状況を勘案しな
がら、数年毎程度のスパンで、物理的ロケーションが変わってくる事となります。
この世界では、現地法人(日本法人も含め)は、ローカルな情報をクラウド組織にITネットワークで、エスカレートする。
そして、クラウド組織は、会計や営業、企画、人員アサインメントさえも含めて、「雲の中」で決定し、現地法人に指示する。
つまり、日本本社はもういらない。
おそらく、クラウド組織は、シンガポールとかドバイに創設するのが、現時点では、妥当なのでしょう。
「企業の国際化とIT技術の進歩と共に、日本本社は不要になり、ITネットワークだけではなく、本社機能でさえも、クラウド化するのでは
ないか?」と考えております。

要は、クラウドコンピューティングの行き着く先は、必然的にクラウドマネージメントなのです。
その位の衝撃をもった、クラウドコンピューティング技術なのです。
 
この「クラウドマネジメント」という造語は、商標登録したい位です。(笑)

2009年11月28日土曜日

これもクラウド技術。ニコニコ生に衝撃を感じた!

またもや、ITと言うか、クラウド技術に驚かされた。

本日、種子島宇宙センター(JAXA)より、国産主力ロケットH2A16号機が打ち上げられるとの事でしたので、打ち上げの様子をライブで見ようと思い、NHKを始めとする、テレビ番組をチェックしたのですが、ライブ中継は全くなしでした。
そこで、ネットでチェックしたところ、ニコニコ動画の「ニコニコ生」と言うサービスがあり、そこで一般の人がライブ中継をやっていました。
打ち上げの瞬間を生で見れて、興奮しました。

打ち上げは打ち上げとして、むしろ驚いたのは、生放送動画サイトの存在です。 
ウキペディアに、「ニコニコ生」の説明がありました。
↓        ↓           ↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%83%8B%E3%82%B3%E7%94%9F%E6%94%BE%E9%80%81
プレミアム会員になれば、動画投稿は数百円程度で出来るとの事で、誰でもライブ中継をできる。
つまり、「誰でも生放送ができる。」との事ですね。
いよいよ、既存のテレビ局の価値が無くなってきましたね。

日々進化する、クラウド技術に萌えております。

2009年11月24日火曜日

日本テレビよ、ふざけているのか?馬鹿なのか?

と言うのも、市川海老蔵と小林麻央のバカップルの話です。
まず、下記の動画をご覧ください。
(本年11月19日に、日本テレビのNews Zeroと言う夜11時台のNews番組の映像です。)

http://www.youtube.com/watch?v=RPP7MbsWscI



この番組は、昼のワイドショーでも芸能ニュースでもなく、シリアスな夜11台のニュースです。
アメリカのCBS Evening Newsとか、韓国のKBSニュースとかに匹敵する質であるべきです。

そうである筈なのに、「自局の若造女性キャスターと、伝統に胡坐をかく歌舞伎一族のバカ息子との結婚の馴れ初め」を
何と6分間も、公共の電波を使って流しております。
何度でも言いますが、昼のワイドショーとか芸能ニュースなら構わないと思います。
あるいは、百歩譲って、超大物政治家や財界人、国民的なスポーツ選手とかの婚約結婚ニュースなら、
まあ理解は出来ますが、このカップルは、「たかが芸能人上りのバカ娘と、名門一家の放蕩息子の結婚話」です。
全くどうでもいい話だし、深夜ニュースを見る層(大部分はビジネスパースンなのでは?)には、興味もありません。
大体、このバカップルのニュースを6分間も放映するくらいなら、報道すべきニュースは、他に山ほどあるのでは?
イラクとか、アフガン情勢は? 
国内なら、事業仕分けの作業を、知識人が議論してもいい。
柔らかいニュースと言う事ならば、北海道での冬到来のニュースや、来たるべき連休の交通渋滞情報を流すのもいいと思う。

こんな話は、テレビ局内の忘年会の余興で、ちょっと触れる程度の「内輪の話」であり、公共の電波で流す話ではない。
そうであるのに、大部分の新聞記事は、とても好意的に、この結婚話を書いている。
唯一、シニカルに書いているのは、下記の記事くらい。
↓    ↓   ↓    ↓ 
http://news.livedoor.com/topics/detail/4463269/

上記の記事も本質的な論点からずれていると思うが、「小林麻央は皇族か!? 今後は麻央様とお呼びした方がよさそうだ。」
との記述は正にその通り! 一体、このバカ女と放蕩息子は、何様のつもりなのだろうか?
そして、「日本テレビは、公共の電波を、Youtubeの動画位にしか考えていない。」と言う事が明らかになりました。

こういうバカなテレビ局は、消えてなくなった方がいい。
そう考えると、問題はあるにせよ、NHKの方が、よっぽどマシですね。(さすがに、ここまで馬鹿ではない。)
日本全体の幼稚化が進んでいると思わざる得ない。

それと、小林とか云うキャスターさん!
結婚なんて、大部分の人がするものですよ。あなただけが特別ではありません。女子高校生だって、こんなに舞い上がりませんよ。
あなたもキャスターであるのならば、『こんなプライベートを、放送するつもりはない。そんな時間があるのなら、パレスチナ問題
に置き換えるべきだ!』と体を張って局の馬鹿幹部と事前に、ネゴるべきです。
頭が悪いのか、それとも、自己顕示欲の塊なのか?

2009年11月23日月曜日

激闘マニラでの4年間。(第3章。現実に目覚め始めた数ヵ月後。)


前回までに、フィリピンマニラにある比国資本100%の企業で、仕事を始めた事を書きましたので、ここからは、フィリピンでの仕事と生活を書かないといけないのですが、正直、あまり書きたくありません。
この後ろ向きな気持ちが、本件に関し、更新が遅れた理由です。
とは言いつつも、今日は、頑張って書いてみます。(笑)
 
張り切って、マニラにあるフィリピン企業で、月給3万円で働き始めたまではいいのですが、数ヶ月も経たない内に、現実を思い知る事になりました。
皆さんには、想像もつかないでしょうが、一般的なフィリピン人居住エリアで、外国人が一人で住む難しさや、純粋なフィリピンの会社で外国人が一人で働くことの困難さに、次第に気がつき始めました。

「200円でビール付きの夕食を屋台で食べる。」という事を、最初の数週間は、確かにエキサイティングに感じたし、ジムニーやトライシクルという乗り合い自動車や乗り合いバイクに、乗ること自体に興奮したのも束の間で、数ヵ月後にはうんざりし始めておりました。
「『いらっしゃいませ。』と迎えられ、席に案内され、水とおしぼりを持ってきてもらいたい!」 つまり、Serveされたいと心の底から思い始めました。

また、エアコン付きの車に乗り、顧客の所に行きたいとも思ったし、朝3時から鶏が合唱したり、隣の家の生活音がすべて聞こえる様な環境ではなく、鈴虫の鳴き声を聞きながら、満月を眺めながら、静寂の中で日本酒を一人静かに味わいながら、ゆっくり思考を深めたいと渇望した。
 
また、クラクションが鳴り響き、排気ガスを浴びながら、ゴミが散乱した陥没した道路を歩くのではなく、綺麗に刈り込まれた街路樹を眺めながら、季節の草木を楽しみながら、安全に路上を歩きたいと願った。

犬や猫(時には人間)の死体が、何日も路上に放置されていたり、ゴキブリが路上を群れを成して這い回っている様な環境をスーツを着て歩き回るのではなく、衛生的な環境でビジネスをしたいと思った。
マニラで郵便局に行こうが、官庁に行こうが、どこかの商店に行こうが、外国人と見れば、すぐに賄賂を要求されるか脅されたりしたが、そうではなく、心を穏やかに生活したいとも思った。

どこに行っても、「Money!Money!」と要求される様な社会で、金を持っていない人間はゴミ扱いされる様な社会ではなく、その人の心の在り様とか能力が、多少なりとも考慮される社会に住みたいと思った。
 
ビジネスマンとして、ビジネスに集中できる様なビジネス環境が、会社どころか国にも全く整っていないし、更に言えば、「そうした環境を提供する意思さえも、誰にもないのではないのか?」と思わざるを得なかった。
ビジネスマンとして、ここが一番、辛かった。
(と言うのも、マニラに行く前は、「フィリピンは貧しい国ながらも、経済的に、上昇しよう強い意思に漲っている『ビジネス志向の国』と勝手に思っていたからである。)
 
そう考えていると、上記の様なことは、「すべて、日本で当たり前に実現できていた事ではなかったのか?」と思うに至り、「フィリピンに来たことは、正しかったのか?」と自責の念にも駆られた。
「俺は学生時代も、そして社会人になってからも、勉強に仕事に人一倍の努力をしてきたつもりだったのに、この体たらくは何なんだ?」と自分自身に腹が立ったこともあった。(「自己のIdentityが崩壊するのでは?」と思うこともあった。)
 
しかしながら、そうした葛藤を抱えながらも、あの頃は、それ以上に、日本と言う国が大嫌いだった。
「日本に帰るくらいなら、フィリピンでホームレスになった方がいい!」位まで、日本の政治、経済、社会に絶望していたので、比国で努力を続ける以外に、オプションは無かった。
(何度でも言うが、その位、2001年当時の日本の政治体制や社会システムにうんざりしていた。)
 
そうした葛藤の中で、当時(2001年夏)、自分と約束した事は、「フィリピンに来たと言う選択自体が間違いだったかも知れない。
でも選んだのは自分であるのだから、逃げることはしない。兎に角、最低2年は、
死力を尽くして、ビジネスマンとして、ITエンジニアとして、努力してみよう!」という事だった。

「2年後には、シリコンバレーに行く!」と言う目標を立てて、その根拠の無い目標だけを信じ込んで、兎に角、全力でマニラでの月給3万円の生活を凌いだ。
悪徳警官から脅されれば脅し返したし、役人から告訴をちらつかせられながら脅迫されれば、あらゆる人的なコネを辿って、脅迫し返した。
悪徳不動産会社から騙されれば、知力を尽くして騙し返し、金を奪い返したし、ストリートで絡まれれば、一歩も引かずに戦った。
比国資本100%の中堅比国企業で働くたった一人の外国人として、差別されたり、侮辱されたりしても、にこにこ笑いながら、へっちゃらな顔をしたし、その悔しさは、仕事の実績(営業成績)で、お返ししようと思った。
 
今となっては、「なぜあそこまで、やったのか?」と思うこともあるが、当時は、「そこまでやらないと、あの国で、何のバック(会社のバッ
クや人的コネのバック)がない外国人は生きていくことが出来ない。自分の命を守る為には何でもやる!」と強く決意した。
 
兎に角、マニラでの生活(特に最初の2年)は、冗談では無かった。
毎日毎日が真剣だったし、「このまま悪徳警官に全財産を巻き上げられた上に、いわれの無い罪で刑務所にぶち込まれて、誰も助けてくれる事もなく、孤独の内に、のたれ死ぬのではないか?」と恐怖を感じたことも何度かあった。
 
上記の様な感じで、最終的には4年間に渡るマニラ生活でした。
次回は、もう少し、具体的に仕事や生活の問題を書きます。

本カテゴリーはこちら。⇒ マニラの熱い夜

千円高速で、京都観光に行ってきました!

今回の3連休(土、日、月)では、妻と京都まで車で行ってきました。
土曜日の朝6時に、首都高経由東名高速で出発し、豊田JCから、伊勢湾岸高速、新名神で京都南ICまでです。
京都到着は、午後6時でした。何と12時間も掛かったことになります。
(因みに、その間、ずっと一人で運転です。)

今年の5月に、同じルートで、福岡まで行った時は、福岡まで16時間かかりましたが、
あの時は、同じように朝6時に出発し、京都南IC通過は、昼1時前でしたので、
今回も、「6時間か7時間で、京都に着くだろう!」と高を括っておりましたが、甘かった!
3連休の初日で、渋滞していた事もあるのでしょうが、兎に角、時間がかかったし、疲れました。
1ヶ月位は、運転したくないですね。。。。
因みに、帰路は、日曜日の夜7時に、京都出発し、全く同じルートで、
帰宅は、深夜3時でした。(つまり、8時間です。)

福岡に行った時は、目的地がもっと先にあるせいでしょうか、京都がとて
も近く感じたのですが、今回は、本当に遠く感じました。
車で行ったことを後悔しております。
千円高速で、確かに、安くは行けるのですが、今後は、極端な長距離ドライブは、避けようと思います。
今回の旅行で、片道4時間以上のドライブは、私にとっては、拷問だと痛感しました。
今後、自分で運転するときは、東名だったら、自宅から静岡、熱海位まででしょうね。
それ以上、西に行くときは、新幹線を使おうと思います。

ところで、京都ですが、観光シーズンであった事もあるのでしょうが、
どこに行っても、朝の新宿駅並みの混雑で、それはそれで、疲れました。
車は、京都駅前の駐車場に止めて、地下鉄や市バスを利用して、観光したのですが、特に、バスの混雑は凄かった。
回ったところは、祇園、知恩院、二条城、そして、清水寺です。
私にとって、20年ぶりの京都であったし、高校時代には、「憧憬の京都」でもありましたねえ。
(あまりにも、京都に惚れ込んで、東京から、京都大学まで受験に行きました。落ちましたが。。。。)
あの頃の京都は、今の京都と比べると、もっと素朴な感じであったと思うし、その素朴さに惚れ込んでのですが、
今は、祇園にしても、まるで、渋谷新宿の様に、ネオンがぎらぎらしているし、京都駅前は、東京駅
前のミニチュアのようです。
それに、最近の京都観光ブームもあるのでそうが、兎に角、観光客が多く、そっちの意味でも、普通の観光地になっていると感じました。
まあ、京都が身近になったと言うことでもあるのでしょう。

兎に角、あの20年前の大学受験の後、一人で、まだまだ深遠で哲学的な雰囲気を持った、京都市内を歩き、
誰もいない清水寺の広大な園内を一人で、散策したことが、懐かしく感じられます。
まるで、源氏物語が蘇ってくる様な、もうあの独特な孤独感を漂わせた京都には、会えないのでしょうね。
少し寂しくも感じます。

2009年11月15日日曜日

拓銀元頭取、有罪確定!

拓銀の元頭取が、実刑確定との事です。

「97年に都市銀行で初めて経営破綻(はたん)した旧北海道拓殖銀行の巨額融資を巡り、商法違反(特別背任)に問われた元頭取の山内宏(82)と河谷禎昌(さだまさ)(74)両被告の上告審で、最高裁第3小法廷(那須弘平裁判長)は9日付で被告側の上告を棄却する決定を出した。ともに無罪とした1審判決を破棄し2人を懲役2年6月の実刑とした2審・札幌高裁の逆転有罪判決(06年8月)が確定する。」

記事全文は、ここです。→ http://mainichi.jp/select/jiken/news/20091112ddm012040025000c.html


河谷頭取時代の4年間、私は拓銀に勤めていたけど、あの頭取のVisionの無さと言うか、根性・決断の無さは、若かった私には、衝撃的であった。

まあ、課長レベルがせいぜいの度量の方でしたね。

彼が、頭取に就任した直後に、銀行内でたまたま会ったけど、子供みたいに、ホクホク顔で喜んでいる単なる好々爺でしか無かったですから。

本来ならば、重責に恐れおののく、緊張感が必要な筈でしょうに。。。。

「無知の知」ですよ。自分の能力を客観的に分析し、頭取の就任依頼を断ることが必要でしたね。

まあ、本人達には、それなりに言い分はあるんだろうけど、たっぷりと塀の中で反省してください。

2009年11月14日土曜日

若者Zへ。海外現地採用についての回答です。

東南アジアでの現地採用に興味のある、若者Zへ。

メールをありがとうございます。
気晴らしで書いているブログとは言え、コメントを頂けるのは、やはり嬉しいです。とにかく、有難う!

さて、頂いた長文のメールをよく読みました。
非常に、しっかりした文章であったし、若者特有のいい意味での無謀さも感じました。

マニラでの現地採用の道を選んだ当時の私も、今の貴方の様に、ある意味、精神的に追い詰められていたし、「
海外で働く事(逃げる事)」で、局面の打開を考えました。
そして、自分なりに、局面を打開できたと考え、4年後に帰国しました。私は、あの4年間で、自分のやった事(実績?)に、
満足しているし、同時に、「よくあんな無茶ができたなあ?もう絶対にしたくない。」との思いも、今となっては強いです。

さて、こうした事を踏まえて、貴方に対し、「東南アジアの現地採用で、私と同じ様に局面打開をして下さい!」と言うのは、簡単です。
ただ、私の中に、「そう簡単に返事をしたくない!」と言う強い気持ちもありました。「なぜ、『挑戦してみなさい!』と簡単に言えないのか?」
と考えている内に、返事が遅れてしまいました。
今、やっと、その理由が分かりました。
(意外なことに、格闘技友達(拳友)の一言から、分かったのですが。)

と言う訳で、返答します。
「貴方の様に、ある程度、日本で経済的、社会的(学歴、職歴と言う意味)に恵まれている人は、
海外で現地採用の道を選ぶべきではない。精神的に追い詰められているなら、他の道(他社への転職、他業種への転職等)を探るべきだ!」

こう回答すると、貴方はおそらく、「貴公子さんだって、無茶をして、結果オーライだったじゃないですか?
なんで、俺には反対の事を言うのですか?」と反論するでしょうが、理由は単純。
誤解を恐れずに、言うのなら、「俺(貴公子)だから、出来ただけの話で、普通の人間は、マニラで沈む。
だから、貴公子と同じ事をする事を薦めない。現地採用をリコメンドすることは、簡単であるが、同時に無責任にもなるから。」と回答します。

よく考えてみてください。
最終的には、貴方の判断です。
あと、フィリピン現地採用経験ストーリーの更新が滞っており、すいません。次回の更新(激闘マニラでの4年間、第3章)では、
現地採用の現実を書きますので、そちらを読んで見るのも、役に立つかもしれませんよ。
よかったら、またメールください。
では、いい週末を!

2009年11月6日金曜日

凄過ぎるGoogle !


昨日、東京台場で開催された、Google Enterprise Day 2009に参加しました。
端的に言って、Googleはあまりにも凄い!
クラウド技術自体は、Googleの専売特許ではないのでしょうが、それを強力に、
開発/発展させて、一般向けに宣伝したのは、Googleです。
「クラウドが、どれだけ凄いか?」と言う事を、端的に言うのならば、正に、従来のIT業界に、核爆弾を落した様なものである。
20年前に、H.I.Sが日本の旅行業界に与えた衝撃、10年前に、ユニクロがアパレル業界を叩き壊した爆発力を、遥かに超越する破壊力を、瞬間的に与えました。
思えば、今年の初めには、クラウドと言うのは、一般の人にはもとより、IT業界に生きる私の様な人間にも、
「なんだか胡散臭い!」と言う程度の話であった。
それが、あっと言う間に、世界中を驚きと賞賛で覆い尽くしてしまった。
「何が凄いかって?」問われれば、一から百まですべてが凄いし、そして凄すぎるが故に、既存のIT業界秩序を、完膚なきまでに破壊してしまっている。
Windows7が先月末に発売されたが、全く盛り上がらないのは、「多機能なOSソフトウェアのライセンスを購入して、クライアントPCで
色々とアプリを動かす。」と言う発想自体が時代遅れだからです。

「すべては、Internetの中で(クラウドの中で)で行われる。」というのがクラウド技術の本質です。
ユーザーは、単にInternetに繋がりさえすればいい。
だから、「OSなんてのは、Internet接続機能さえあれば、それ以外には何もいらない。」という事になる。
Google Chormと言う無料OSリリースは、「Windows7の発売日にぶつかるのではないか?」と一部に予想されていたが、さすがにそこまで露骨ではなかった。
とは言うものの、年内リリースは確実です。

このクラウド時代に、誰が金を払って、Microsoft OSを買うのか?
また、Microsoftだけではなく、DellやHPと言ったサーバーベンダーや、Oracleと言ったDBベンダーまで、幅広くそして徹底的に、
殲滅するのが、クラウド技術です。
クラウド技術自体に驚くと共に、時代の流れに、栄枯盛衰というか諸行無常を感じます。
SIベンダーもクラウドを取り込んだ所だけが生き残るし、一般企業も、どこまでクラウドを活用できるかで、生死が決まります。
今後とも、本件はフォローしてゆきます。
興奮して、眠れません。。。。。

2009年10月31日土曜日

インドネシア バリ島に行ってきました。


バリ島に、6泊7日(機中1泊)で、行ってきました。
東南アジア中心の国際ビジネスマンを自称しながら、バリは勿論、インドネシアに行ったのも初めてでした。

率直に言って、バリは面白かったし、インドネシアの多様性というか包容力に驚いた。
インドネシアと言えば、イスラムの国と言うイメージが強かったのですが、バリだけは、ヒンズーの島との事で、まず、この単純な事実に驚いた。
当初は、スキューバーダイビングを中心としたマリンスポーツ目的であったが、結局、殆どの時間を島の内陸部のウブドというエリアで、寺院めぐりや劇場めぐりをしていた。
バリ島の歴史の重さを感じる旅行だった。

バリの文化とか歴史の深さに驚いたし、また、こうした異文化を内包するインドネシアと言う国家の多様性にも感動した。
また、現地で見つけたガイドのスワさんが、とても親切で、結局、4日間、ずっとスワさんにガイドをお願いすることとなった。
スワさんに拠れば、インドネシアには、17000の島があり、島ごとに言葉が違うとの事。
バリ語はとても難しいらしいが、インドネシア語はとても簡単だとも言っていた。
(帰国後、ネットで調べる限り、確かにインドネシア語は簡単らしい。Wikipediaには、「世界でもっとも習得が容易な言語の一つ」との記載があった。)
今、手元にJakarta Post(英語)があり、兎に角、向こうの社会を理解しようと、興味をもって読んでおります。
現在、ハングルの勉強と、朝鮮の文化歴史の習得で、手が一杯ですが、「何とかインドネシア語も頑張りたいなあ。」
とまで、思っております。
兎に角、知的に感動した旅でした。







(ガイドのスワさん。手前にいるのが、妻)

P.S. 勿論、ヌサドアという地区で、スキューバーダイビングもしました(1ダイブだけ)。
まあ、リゾートダイバーの私には、1ダイブでも十分だった。(水深は13mだった。)
Youtubeに、スキューバーの様子もアップしておきます。
Youtubeのチャンネルは、「哀しみの貴公子」とう名前のチャンネルです。
直接いく場合は、これです。→ http://www.youtube.com/watch?v=ensrIx3goUg

2009年10月13日火曜日

ハイエク全集 と RFC


自称、「中堅大学経済学部2年生」の若者Yへ。
 
貴公子も、経済学部出身なので、ハイエクも、マルクスも、アダムスミスも、ミルも、ケインズだって、勿論、全部、勉強しました。
ただ、ハイエク全集やマルクス資本論自体を直接、読んだ訳ではなく(「共産党宣言」くらいは直接読んだが。)、
ハイエクやマルクスを解説した本を読んだというのが、正確な所です。

私のかなり偏った理解に拠れば、経済学とは、経済思想を研究する学問で、経済哲学と同義である。(と思う。)
(その意味で、マクロ経済学は、基礎知識としての意味があるので兎も角、線形代数を駆使した数学と化している
ミクロ経済学は、経済学ではないし、実社会でも役に立たないと思う。)
先人の思想を学ぶのが、経済学の本質だと思う。
因みに、私自身は、ハイエクの新自由主義思想を標榜しております。

マルクスの資本論なんて、普通の頭脳の人間には理解できないし(多分。。。)、Adam Smithを直接、読む様な人は研究者以外にはいない。
ITの世界にも、RFCという基準があります。
Request For Commentの略で、ITの世界標準の基本ルールです。

ただ、10年間、ITを生業としている私も、RFCを直接、読んだことは一度もありません。
ITの研究者でもない限り、その必要も無いはず。
(因みに、RFCを解説している本を読むだけでも、十分に骨が折れます。)
 
これが、貴方への回答です。
経済学を勉強するのでも、ITを学ぶにも、変な背伸びは止めて、身の丈でやっていきましょう。お互いに。(笑)

2009年10月12日月曜日

激闘!マニラでの4年間 (第2章 マニラ生活開始!)

2001年3月末の良く晴れた日の夕方、Philippines ManilaのNinoy Aquino Airportに到着した。
当時、無職でフィリピンに人脈なしの私には、当然ながら、迎えの車なんて来ない。
空港で、タクシーを捕まえて、Makati市にある、ビジネスホテルに移動した。
(因みに、土地勘の無い観光客は、マニラで普通のタクシーを乗るのは辞めたほうがいい。かなり、危険です。)
ホテルは、マニラ唯一といわれるビジネス街Makatiにある、中級ビジネスホテルで、一泊1500円位の所だった。
とりあえず、シャワーとトイレはついていると言うだけの質素なホテルだった。
「就職を決めて、住むアパートを確保するまでの滞在する。」と決めて、とりあえず1週間分を前払いで支払った。
着いた日は、ホテルの周りを歩き回り、ホテル近くのバーで一杯飲んだだけでホテルに戻り、翌日からの異国での就職活動に備え、英文履歴書の推敲等に費やした。
夜、ホテルの窓から外を見ると、よく晴れた空に、熱帯の星空が綺麗見えた。
遠くでコンサートをやっている様で、AbaのDancing Queenが聞こえてきたのが、今でもとても印象に残っている。
翌朝は、早く起きて、ホテルの周りのジョギングをして、気合を入れてから、就職活動開始。
事前に、当たりを付けておいた会社は、たったの2社だが、そこは、超楽天家の私だけあって、「何とかなるだろう!」と信じ込んで、いざ出陣。

因みに、2社とも、100%フィリピン資本のフィリピン企業。
その時点までの職歴は、大手銀行員4年(支店融資課、本部資金証券部)と通信機器メーカーの国際営業職3年。
また、この時点で、「これは!」と言うResume上のウリはなし。
ただ、ガッツとやる気だけを、前面に出し、自分を売り込んだ。
2社共、SI(システムインテグレーター)企業の営業職で申し込んだが、驚くほど、あっさりと就職は決まり(面接15分)、「来週から出社してください!」で決定。
入社した会社は、20年位の歴史のある会社で、従業員は200人程度の会社だったが、「外国人の採用は初めて」という会社だった。
給与は、勿論、現地スタッフと一緒。
具体的な給与は、月1万5000ペソ(当時のレートで3万円)の基本給で、プラス営業の歩合給。
(ただ、かなり高い売り上げ成績を出さないと、歩合給を貰うことは不可能なシステムで、1年3ヶ月勤務した私でも、プラスの歩合給を貰ったことは、3、4回しか無かったと記憶。)

当然だが、家賃補助、Visa代、健康保険等の諸手当は、一切無し。
勤務は月から土。つまり、週休1日制。
まあ、フィリピンのビジネス界のTypicalな給与モデルだったと思う。

住むところは、会社の総務の女性が探してくれた、Pasig Riverの近くの古アパート。家賃は5000ペソ(当時のレートで1万円)。
ガスはないので、お湯は出ない。
むき出しのコンクリートの床や壁の2部屋のアパートで、水シャワーとトイレが付いていた。
典型的なフィリピン人の庶民の生活エリアだった。
低地だったので、スコールが降ると膝まで水に浸かりながら、アパートの玄関から外に出た。
アパートの部屋には、いつもネズミが走り回っていたし。。。。
一番、辛かったのが、壁が薄く、通路が狭く、隣の部屋の生活音がすべて聞こえる事。
隣のFamilyはいつも大音量でテレビをかけていて、本当にうるさかった。
因みに、その後、日本に帰ってきて、誰からも不思議がられたのは、「なぜ、日本企業の現地採用の口を捜さなかったの?」という事と、「多少、蓄えもあった筈なのに、どうしてそんな安アパートに住んだの?外国人用のコンドミニアムだって、そんなに高くないでしょう?」と言う事。
理由は単純。
「自分の体力、知力、精神力の限界を、海外ビジネス界でチェックするのが目的なのに、海外まで来て、日本企業に就職するのでは意味が無い。」と単純に考えた。
一方で、直前に3年間勤務していた東京の通信機器メーカーが、本当に、無気力かつ怠惰かつ無能な会社で、トラウマになっていたと言う事もあると思う。
つまり、当時は、「すべての日本企業=あの駄目な通信機器メーカー」位に思っていたので、「日本企業に勤務する」ということは最初から、想定外だった。

もっと言えば、当時の日本の平和ボケと、当時の森首相に象徴される、あの「日本人特有の鈍牛さ加減」が、日本人として、本当に恥ずかしくて、「日本人と言う国籍を抹消したかった。」とか「日本と関わりたくなかった」という事も確実にある。
住まいについて言えば、確かに、月4万円とか5万円くらい払って、プール付きの外国人向けコンドミニアムに住むことも、蓄えを取り崩せば、経済的には問題は無かったが、「月給3万円で働くのだから、それに合わせた、それらしい生活をしよう。」と思い、敢えて、安アパートを選んだ。

それに、一切の身分保証が無く、身一つで、フィリピンに行った私にとって、あの5百万円の蓄えは「虎の子」だった。
だから、なるべく、それには手をつけなくなかったと言うのもあった。
兎に角、問題はあったが、あっさり就職は決まり、住むところも決まって、出だしは順調だったと思う。
これがスタートだった。
当時30歳。
さっきも書いた様に、住んでいたエリアは、典型的なフィリピンの住宅街で、汚いしうるさかった。
また、「ホコリを被り、排気ガスを浴びながら、屋台でビール付き、200円の食事をする」様な生活だったが、悲惨な気持ちは全く無く、挑戦者特有のウキウキした気持ちであった。

続く。

2009年10月7日水曜日

激闘!マニラでの4年間(序章 マニラへの道)

「激闘系ファイター」、20台後半の時に通っていた空手道場でそう言われていました。
大学卒業後に4年間勤務した北海道拓殖銀行が破綻して、東京にある「悪い思い出しかない中堅通信機器メーカー」で働き始めた頃の事です。
拓銀での仕事では、罵倒叱責されながらも、一生懸命仕事をして、それはそれで、充実した生活であったが、この中堅通信機器メーカーでの勤務は、本当にくだらなかった。

毎日毎日、ビジネスマンとしての気力や能力が、吸い上げられて行く様な錯覚に襲われた。
無気力かつ怠惰かつ無能な会社であった。
そんな仕事でのフラストレーションを、空手にぶつけた。
従って、あの頃の空手への打ち込みは凄かった。
今、あの頃の試合のビデオを見ると、技術的には、全然なっていないが、気迫だけは凄かったと感心する。

強い奴と組み手をして、何度も何度も上段回し蹴りを食らい、意識を飛ばしたり、
骨折したりしながらも、体を鍛えていると、いつしか私自身も肉体的に強靭になっていった。

そうなると、人間とは不思議なもので、仕事を通して得られる自尊心とか、勉強して資格取得して得られる自信とかとは、全く異次元の自信が得られた。
「それは何か?」と問われれば、自己に対する「絶対的な信頼」とでも言えば言いのであろうか。

昔、三島由紀夫が、「強靭な肉体に、健全な精神が宿る。」みたいな事を言ったが、正にそれを実感する瞬間だった。

当時、通っていた空手道場の先生が私に言った言葉は忘れられない。
「君は根性があるし、肉体的にも強靭だ。サラリーマンなんか辞めて、空手で身を立ててみたらどうだ?」
あの時ほど、グラッと来た言葉は、それまでの人生で無かった。
(あの時、もしそうしていたのなら、今頃、私は何をしていたのであろうか?小さな道場を開いて、子供達に、空手と勉強を教えていたりしていたのかなあ。)

兎に角、空手道場の先生がチラッと言った一言に、感激する程、あの「無気力な会社でのお遊び仕事」に、退屈もしていたし、ストレスも溜まっていた。
(私は別に優秀な人間ではないが、あの会社では、「この程度の仕事ならば、自己の能力の1%も使う必要がない。」と思っていたし、社内で、そう公言していた。何度でも言うが、本当に、エネルギーレベルの低い人間の集まった無気力かつ面白みのない会社だった。)

事態がここに至って、さすがに、真剣に、局面打開を考えるに至った。年齢は30歳。
あの当時の安易なオプションとしては、別の日本企業にさっさと転職すると言うものだったが、
「それでは、イマイチ、ぶっ飛び方が足りない。」、「限界超越をしていない。」、「面白みがない。」と思った。
当時は、独身だったし、肉体的にも、もっとも強靭な時期だったし、気力も充実していた。

「失うモノは何もない。もし失敗しても、最悪、死ぬだけだ。今しかできない事、この世で俺にしかできない事をやろう!」と真剣に考えた。
また、「国際ビジネスマンを気取るなら、いまこそ、海外で裸一貫で、全身全霊を賭けたガチンコ勝負をしてみるべきだ!」と考えた。
頭に浮かんだ候補は、シリコンバレー、台湾、そしてマニラ。
結論は結構、簡単に出た。
シリコンバレーというのは、夢であったが(今でも夢だが)、あの当時の私では、技術的能力の観点からも、無理だと考えた。
また、向こうで、チャンスを探すにも、物価の高いカルフォル二アでは、チャンスを探す前に、私の方が財政破綻し、単なる「観光旅行」になってしまうのは、目に見えていた。(だから諦めた。当時の私の全財産は、5百万円。) 

また、台湾はとても面白そうだったが、中国語が全く当時、駄目だった私には、「中国語をある程度のレベルにまで引き上げるだけで、1、2年は軽く過ぎてしまう。」と考え諦めた。
目的は、語学留学でも、ましてや長期観光ではなく、「海外のシリアスなビジネス現場で、タフなビジネスをする事。
孤立無援な環境で、どれだけビジネスが出来るのか?」をチェックすること。
言い換えれば、「自分の知力、体力、精神力の限界を見極め、極限状態で自分がどうなるのか?」をチェックすること。

上記の基準から、マニラをあっさり選んだ。
「いざ、マニラへ!」、そう単純に思った。
しばらくして、会社の上司に辞表を出した。
(この上司については、「いつも背中を丸めて、お茶を「ズッ!」と音を立てて飲んで、
 泣き言をメソメソと言っている無力な初老男」と言う記憶しかない。)
上司 :「どうして辞めるのかなあ?ワーキングホリデーにでも行くのかなあ????」
貴公子 : 「マニラで職探しをします。」
上司   : 「へー、面白いこと考えるねえ。娘の友達が、スキューバーダイビングが好きで、
フリーターをしながら、しょっちゅうフィリピンに行っているよ。」
貴公子 :  「はあ。」
上司    :「貴公子さんも、スキューバーが好きだったんだあ。そういう事が好きな人には、フィリピンは良いよねえ。」
貴公子 : 「そうではなく、マニラで職探しをして働きます。可能であれば、現地での起業も考えています。」
上司  : 「へえ。本気なんだあ。なんで、そんな事するの? 部長に、何と説明すればいいんだよお。。。」
貴公子 : 「ご理解頂けないと思いますが、自分のビジネスマンとしての裸の能力を外国でチェックしたくなったのです。」
上司  : 「わざわざ、苦労することはないよ。人生は楽に生きた方が良いに決まっているよ。
苦労するだけ、馬鹿みたいじゃん。考え直そうよお。」
貴公子 : 「今こそ、自分なりの勝負を海外でする時期だと判断しました。」
上司  : 「そんな事、急に言われてもねえ。それに、部長が何と言うか。」
貴公子 : 「ご迷惑をお掛けして、申し訳ございません。では、私から部長に説明します。」
上司 : 「そうしてくれる? でも、海外に行きたいんだったら、心配しないでいいよお。君は、ウチのアメリカ子会社Admin担当駐在員の『次の次の次の候補』だよお。貴公子さんは、英語も好きじゃない。」

この「次の次の次」という言葉は今でも明確に覚えているし、今後も忘れる事はない。
正に、あの会社の緊張感の無さを象徴する言葉だと思う。
という訳で、何の躊躇もなく、退社した。
上記がマニラに行くことになった理由であり、経緯です。
拍子抜けする位、単純な理由で、馬鹿らしい理由とも言えるが、本当に、ただ、それだけの理由です。

別に、フィリピン人の彼女がいたとかそういう事ではありません。(笑)
ましてや、警察とかヤクザに、追われていた訳ではありません。(大笑)
マニラに行く1カ月前から、航空券の購入等の準備を始めた。
その間に、大学の友達との送別呑み会、空手の試合に出場、TOEIC受験等をした。
TOEIC受験は、旅立つ前の集大成として。
この時、なぜか、あの当時の英語力ではありえない920点が、まぐれ的に取れた。
何だかTOEIC実行委員会までもが、私のマニラ行きを応援していてくれている様な気がした。

すべてが終った2001年3月末、晴天の成田空港の昼下がりに、驚くほど、晴れ晴れした気持ちで、私は飛行機搭乗を待っていた。
当時、付き合っていた彼女が成田まで、見送りに来てくれており、空港内の小さなスタンドで、ビールを奢ってくれた。
続く。。。。。

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2009年10月4日日曜日

失望した!


中川昭一元金融担当大臣の死亡の報が飛び込んできました。
率直に言って、驚きを通り越して、怒りを感じます。
中川氏が、自殺か病死か現時点では不明であるが、自殺なら史上最悪の極悪政治家であり、
病死なら自己の健康管理もできない情けない男で、「政治家の資格なし!」と言い切る。
 
少し前にも同じ事がありましたね。
2006年のホリエモン偽メール事件絡みで、衆議院議員を辞職し、2009年に
自殺した永田寿康の事です。
あの時も、怒りを感じたが、同じレベルで不快である。
確かに、酒とドラッグで公衆の面前で醜態を晒し、大臣辞職し、その後の衆院選挙選挙で惨敗し、議席を失った事は、精神的に辛かったのではあろうが、
国政レベルの政治家は、その程度で参ってはいけない。
政治家が精神的に落ち込むのは、国家や国民に不幸が起きたり、国益が損なわれた時にのみ、許されるのであって、
プライベートな事(落選したとか、酒で失敗したとか)で、参ってはいけない。
それが、政治家であると思う。
言い換えれば、政治家である限り、突然死する事は許されない。(特に、今回の様な状況では。)
 
そもそも、プレスインタービューの際に、泥酔していた事位で、一国の大臣が大騒ぎするな!
「俺は、酒が入っていた方が、頭が回るんだよ!」とでも強弁して欲しかった。
永田議員の時も同じ。
「事実関係を整理しないで質問したのは悪かったけど、それでも、武部さん、あなた怪しいよ!」位の事を
真面目な顔をして、シラッと言い切って欲しかった。
 
プライベートな事で精神的にめげるのは、私を含めた一般庶民の「特権」であって、政治家には許されない事である。
その覚悟が無いのに、中川氏や永田氏は政治家になったのであろうか?
政治家の自殺や突然死は、国民に深い無力感を与えます。
政治家である限り、死ぬことさえも、許されないと言い切る。
もう一度、言いますが、自殺なら極悪人、病死なら「政治家の資格なし」です。
その程度のメンタリティーならば、来世では、政治家を目指さない様に忠告します。
 
最後になりましたが、御冥福をお祈りします。

2009年10月3日土曜日

亀井静香金融相の暴走と、マスメディアの死。


誰がどう考えても狂っているとしか思えない、亀井金融相が唱える金融モラトリアム法案であるが、
不思議なことに、マスメディアがきちんとした分析や批判を加えていない。
 
「藤井裕久財務相は、反対の様だが?」みたいな、どうでもいい質問を亀井金融相に対して行い、
それに対する亀井氏の回答をそのまま記事にしているだけで、分析が全くない!
(ただ、「誰々がこう言った!」とかの事実を並べるているだけで、分析や批評の視点が全くない。)
マスコミは、いつからこんなに怠惰になったのであろうか?
この程度で、マスコミの記者が務まるなら、だれでも記者になれるのでは???
(今や、批評能力を持っているのは、個人のブログだけなのかなあ。。。)
と言う訳で、駄目なマスコミに代わり、本件に対する私なりの分析を加えます。(笑)
と言っても、金融モラトリアムと言う言葉だけが、一人歩きしており、その詳細内容を報道しているメディアもない様で、私の情報もどこまで正しいのか
現時点では不明ではあるが。。。
 
経済学的に言えば、この手の金融モラトリアム政策は、資本主義・民主主義を標榜する国家ではあり得ない。
また、既成の民間の金融契約に対して、後付で、国家が強制的に介入するなどと言うことは、法治国家としてもあり得ない。(と思う。)
 
と言うか、それ以前に、議論に値しない暴走ではないのか?
一体、亀井ごときが何を先走っているのか?
そもそも、8月の衆議院選挙で、国民の信託を受けたのは、民主党であり、亀井の国民新党ではない。
衆議院選挙後に、「勝手に」、鳩山民主党は国民新党と連立政権を組んだ上に、金融相の様なもっとも重要なポストに、
弱小政党の人間をアサインし、アサインされたエキセントリックな人間(亀井)が、好き勝手にやっているという図である。
 
思うに、論点は単純。
有権者は、民主党が国民新党と連立する事を、想定していなかった。
また、「金融モラトリアム法案」の様な重要な法案は、亀井の様なマルクス経済標榜者が、一人で勝手に決める様なものでもない。
さらに、素人でもこの程度の分析は加えられるのに、沈黙を守る大マスコミとは何なのか?(怠惰の極みではないのか?)
 
兎に角、「借りた金を返さなくてもいい。」と言う、徳政令如き法案は、経済秩序、金融モラルを破壊するだけではなく、
法治国家の根幹を覆す反国家的なテロ行為である。
 
あり得ないよ~。

2009年10月1日木曜日

2社目。暗黒の3年間(本文) ~ 大学卒業後で、マニラ渡航前


大学卒業後、縁もゆかりもない北海道の銀行に4年間勤務しました。
そして、拓銀が死んだ(倒産)のが、1997年の11月14日。
(当時、札幌本部の資金証券部と言う部署で、銀行全体の資金繰りを管理しておりました。)
というわけで、1998年1月に、退職しました。
翌2月は、東京への引越し(独身だったので、とりあえず実家に帰る。)、
就職活動、やりたかったレンタカーでのアメリカ旅行(ロス、ラスベガス、グランドキャ二オン)2週間をしている内に、すぐ過ぎてゆきました。

3月から、働き始めたのが、東京にある某中堅通信機器メーカー。
(今でも、生きている会社ですので、ある程度、ぼかして書くのをお許しください。)
配属は、国際営業部門。
「安易に、入社したのが間違いだった!」と、入社して3日後には後悔しました。
2月に就職活動していた頃は、「あの倒産した拓銀のエリート部門出身者」と言う世間的同情もあったと思うし、当時、20台後半で英語もそこそこ出来た私は(当時、TOEIC800点台前半)、不景気な世相の中でも、転職市場でそこそこ人気がありました。

当時、面白そうな会社数社から内定をとった私が、「なんで、あんなどうしようもない会社を、よりによって選んだのか?」は、今となっては私も説明できません。
「魔が差した!」とか言い様がありません。
兎に角、勢いが無く、スケールの小さく、気が小さく、「どうすれば大過なく日々を過ごせるかを必死に考えている」様な人間ばかりの会社だった。
会社の業績は、右肩下がりが10年以上、当時、続いており、会社資産(主に会社土地)を切り売りしながら、何とか倒産を免れていると言う情けない会社であった。
(今でも、まだ同じやり方で、辛うじて、死を免れている。)
と言う訳で、入社3日後には、「絶対、辞めてやる!」と思ったのですが、またもや魔が差して、ダラダラと3年も勤務してしまった。

ただ、一つだけ守り通した事があった。
「この会社では、昇進試験を受けない。」と言うルールである。
半年に一回、「昇進試験(面接)を受けましょう!」と人事から言われたが、意地でも受験しなかった。
理由は簡単!
あんな会社でも、「中途半端に昇進すると、弱い自分は、またもや退職できなくなってしまうのではないか?」と怖かったから。
だから、昇進自体を拒んだ。

兎に角、入社して3日後から、辞めることばかりを考えていた。
当時、自分に課したルールは、他には以下の通りだった。
- 仕事はきちんとする。
高校生のアルバイトでもできる様な雑務であったが、 「給料を貰っている限りは、自分のプライドに掛けて、きちんとやる!」と自分と約束した。
勿論、正社員で残業代も出なかったけど、毎日、朝8時には出社し、夜9時、10時まで雑用を必死にやった。
3年間勤務して、遅刻ゼロ。
休暇も、1年に1週間程度の休みを秋に計画的に取る位で、それ以外の休み(病欠等)は一切取得しなかった。

- ビジネスマンとして言うべきことは言う。
上司、同僚が駄目すぎて、何を言っても無駄なのは、入社3日目には分かったが、兎に角、ビジネスマンとして言わなければならないことは、ビジネスマンのプライドに掛けて、どんなに無視されても言い続けた。

- 英語の勉強をきちんとする。
   あんなどうしようも無い会社で、情けない上司、先輩に囲まれていたが、少なくとも、国際営業部であったので、メールや電話等で、英語を使う環境にはあった。
そこだけは、今でも、感謝している。
あの頃、土曜日や日曜日は、家で(実家で)、一日中、CNNやBBCを聞いていたし、片道1時間半の通勤電車で、Japan Timesを読んでいた。

- 体を鍛える。
「兎に角、昼休みは30分、ジョギングをする。」、「週に最低3回は、会社近くの空手道場に行く。」を自分に課した。
あの情けない会社から、抜け出すためにも、兎に角、資本となる体だけは鍛えるべきだと考えた。
兎に角、公私ともに、暗黒の3年間だった。
今になっても、「拓銀の事は、良くも悪くもいい思い出であった!」と言い切れるが、この電機メーカーでの3年間(20台後半の3年間)は、「思い出したくも無い、くだらない3年間であった。」と自信を持って言えます。(笑)  
唯一、この3年間で有意義だったことは、英語力を少しは伸ばした事と、空手を必死にやって体を鍛え、その後の人生の土台となった事位でしょうね。。。。
とりあえず、そういう3年間でした。
何度でも言いますが、あまりにも情けない会社での、馬鹿らしいサラリーマン生活だったので、思い出したくもありません。
という事で、あの会社(あれだけ赤字を垂れ流しながら、今でも東証1部上場で残っているのが不思議)の事を書くのは、これで最後にしたく。
次回は、国際ビジネスマンとして開眼した、マニラでの「地獄だけど、充実した4年間」の事を書きたいと思います。
あの4年間は、本当に、素晴らしい4年間だった。
マニラでの思い出だけでも、残りの人生を生きていけると言う位、戦い抜いた、素晴らしい日々でした。

次回(激闘マニラでの4年間、序章)はその素晴らしい4年間について、書こうと思います。

暗黒の3年間(序章) ~大学卒業後、マニラ渡航前


本ブログのアクセス数がおかげさまで、1900を突破しました。
苦節1年超で、やっと達成です。(涙)
2000の足音が聞こえています。
 
MSNのMyspaceも使いこなしていると、日に日に、満足度が上がってきます。
実は、Googleのブログサイトに、引っ越そうかと考えていたのですが、しばらく、MSNのMyspaceを使ってゆく事にしました。
今後とも、本ブログを気晴らしに読んでやってください。
 
さて、Myspaceのアクセス情報分析機能を使うと、本ブログへ、皆様が「どういうルートでアクセスするに至ったか?」の概略を知ることが出来ます。
つまり、「どういう単語を検索したら、本ブログがヒットしたか?」を知ることが出来ます。
今のところ、英語資格試験系の単語(英検、TOEIC、TEPテスト)か、IT系の単語(Citrix Xenapp、Cisco、Windows2003サーバー、
Mysql、Oracle、Web Application、PHP、Javascript、RDP、ICA)のヒットが多いようです。
こんな分析が出来るなんて、Myspaceも素晴らしいですよね。
 
ところで、ある読者からメールをいただきました。
曰く、「貴公子さんが、大学卒業後、縁もゆかりもない北海道の銀行に4年間勤務して、その後、さらに3年後に、
フィリピンマニラに行き、4年間、フリーターをしていたのは分かりました。でも、銀行とマニラの間の3年間は、どこで何をしていたのですか?」との質問をいただきました。
分かりました。気が進まないけど、お話します。
私の暗黒の3年間を。。。。。
長くなってきたので、一回、ここで、お終いにします。
何とか今日中に、暗黒の3年間のストーリーをアップします。(笑)

2009年9月26日土曜日

感動! キック引退試合後日談


キック引退試合から、1週間が経ちました。
応援してくれた方、観戦に来てくれた方、ありがとうございました。
 
今日は、土曜日なので、午後、ジムに行き、体を動かしました。
(引退試合後、初めてのジムトレーニングです。)
因みに、「選手引退」ですので、格闘技自体を止める訳ではありません。
今、興味のあるのは、伝統系空手、古武道、合気道とかです。
しばらく、キックボクシングジムで体を動かしながら、新天地を探す予定です。
私の格闘技人生は、死ぬまで続きます。(多分。。。。)
 
ところで、本日、ジムでサンドバックを蹴っ飛ばしていたら、25とか26の若者が、
寄ってきて、「この前の試合に出てましたよねえ。感動しました。僕もがんばろうと思いました。」
と言ってくれました。
嬉しかったなあ。。。。
この彼の一言だけでも、今まで、私なりに「サラリーマン格闘技道」を精進してきた甲斐があったとさえ、思えます。
 
兎に角、今まで俺の格闘技人生に関わったすべての方(コーチ、指導員、
先輩、スパーリング相手、道場とかジムの仲間)に、深く感謝します。
ありがとう!!!

2009年9月20日日曜日

引退試合の模様です!

引退試合は、負けました。
でも、まあ3Rを戦い抜いて、判定まで持ち込んだので、38歳にしては上出来だと思います。
見せ場も作れたし。。。。

子供の頃から、格闘技に興味があり、20代前半から何となく開始しましたが、本格的に始めたのは、27歳です。27歳から、10数年。空手とキックを頑張りました。
ビデオで見ると全然駄目ですね。
恥ずかしい。
白いヘッドギアをしているのが、哀しみの貴公子です。

でも、会社の人も応援に来てくれたし、いい思い出です。
格闘技に感謝します。
さようなら。引退します。
下にYoutubeの動画をアップしました。

-1R目
http://www.youtube.com/watch?v=ZlMUfDtKjvs

-2R&3R目
http://www.youtube.com/watch?v=Os4MgDy68ZY



2009年9月19日土曜日

キック試合の前日です。

いよいよ引退試合前日です。
セコンドは、気心の知れた会社の同僚に頼む事にしました。

「別にプロの格闘家でもないし。」と言っちゃえばその通りなのですが、自分でも信じられない位、
真剣に明日の試合に向けて、準備をしております。
「この1週間は本当にストイックに生きた!」と自己評価しております。

朝起床時: 73.1キロ
朝散歩30分後 : 72.6キロ

73キロクラスのエントリーなので、明日の朝6時起床時に、73キロ台前半なら、問題ない筈です。
今日は、昼は、少しきちんと食事をして、午後は家でゆっくりする予定です。
今日の夕方に、体重をチェックしてからの判断ですが、夜は、カロリーメイトだけで済まそうと思います。
因みに、私はチーズ味が好きだ!!!

ところで、今週は、「Cloud Force Japan」と言う東京で開催された、Cloud Conference(最先端ITネットワーク技術のセミナー&展示会)
に出席したのですが、その時に出会ったGoogle法人営業担当者の言葉に、引きずり込まれました。
Google APPSと言う、PaaSと概念に分類される最新のサービスは知っていたのですが、
それ以外にも、法人向けに色々とサービスをしている事に驚きました。

我々の様なITのプロでさえ、「Googleのサービスは個人ユーザー向けだ!」とずっと思っていた訳ですから。
いよいよ、Googleがそのベールを脱ぎ始めましたね。。。。
休み明けに、Googleの営業担当者が、当社に来る事になりました。
どんな話が聞けるのか、楽しみだなあ。。。。

兎に角、今日は、明日の試合のみを考えたいと思います。
明日か明後日には、試合のビデオをYoutubeに乗せる予定です。

2009年9月17日木曜日

減量は順調です! Vol.3

朝起床時: 74.3キロ。
仕事終了後、ジムに直行。ワークアウト直後 : 72.5キロ。



朝食は、いつもの様にヨーグルト。
昼は、そば1杯。
夜は、りんご1個とそば1杯。


と減量自体は、順調に来ています。


「急速に減量しているので、パワーが落ちるのではないか?」と少し心配だったが、
今のところ、大丈夫な様です。


ところで、今日は、ポストに宅配のすし屋の広告が入っていた。
この手の広告は、いつもそうですが、今日は、本当に旨そうに見えた。
キンキンに冷えたビールを飲みながら、寿司をつまみ、シュウマイと餃子を食べたいなあ。。。


兎に角、後3日です。
悔いのない様にがんばります!
最終のウェイト調整段階です。

2009年9月16日水曜日

減量は順調です! Vol.2

9/16(水)減量は4日目に入っております。
朝の起床時 74.3キロ
朝、ロードワーク直後(30分間) : 73.0キロ
夜、会社からの戻った瞬間  : 74.0キロ
寝る前に74.6キロ 
     
因みに、食事は下記のみです。
朝食は、ヨーグルトのみ。
昼は、小さいカレーライス一皿。
夜は、そば一杯。
(本日からは、コーヒーやお茶の飲む量も減らし始めました。)
     
というわけで、日曜朝の目標73キロに向けて、順調だと思います。
今回、減量を開始した当初は、こうした腹6分目、かつ酒なしの生活がとてもつらかったのですが、
4日目に入り、全く苦ではなくなりました。
やはり、何事も慣れなのですね。


何事も慣れと言えば。。。。
30歳を過ぎて、フィリピンマニラで、がむしゃらにフリーターをしていた頃、1食100円の粗食に耐え(笑)、
1乗車10円とか20円のエアコン無しの乗り合いバスで、マニラ中を営業で走り回っていた時も、
別に辛いとも何とも思わなかったなあ。。。。
それはそれで、最高にExcitingで、楽しくもあった。
あんなタフなことでさえ、慣れれば何てことなかったなあ。。。


そんなことまで、思い出しながら減量しています。
そう言えば、ちょっと前に見たNHKの番組で、あの凄過ぎるWBCバンタム級チャンピオンの
長谷川穂積選手が、「減量はすればすれ程、研ぎ澄まされてくる。」と言っていたが、
その心境が少しが分かる気がしています。


そう考えれば、今回の減量を通じて、格闘技に対する理解が少しは、深まった気がし、その意味では嬉しくもあります。
兎に角、あと4日です。

2009年9月15日火曜日

減量は順調です!

9/20(日)のキック引退試合に向けて、最終調整及び減量に励んでおります。
私の通常の体重は、ここ数年77キロ前後です。
今回は、73キロクラスでの出場予定です。

私は、太り易い体質の様で、呑み会が続いたり、脂っこいモノ(こてこて系ラーメン等)を食べる日が続くと、簡単に80キロを超えます。
因みに、フィリピンマニラで毎晩飲み歩いていた34歳くらいの頃と、上海で毎晩、酒を流し込んでいた36歳の頃は、85キロを瞬間的にですがオーバーしておりました。

今回の減量は、日曜日の朝の77.6キロからスタートです。
9/20(日) 朝 77.6キロ
        ジムでのワークアウト直後の正午ごろ : 75.0キロ。
        昼は普通に食べる。
        夜は果物だけ。寝る前に76.8キロ

9/21 (月) 朝 : 76.2キロ
        普通に会社に行く。 朝 ヨーグルト1個。
        昼 そば1杯。
        帰宅直後 : 76.8キロ
        夜ジムに行く。ワークアウト後。75.2キロ。
      
9/22 (火) 朝 : 74.8キロ
        普通に会社に行く。 朝 ヨーグルト1個。
        昼 そば1杯。
        帰宅直後 : 74.8キロ
        夜ジムに行く。ワークアウト後。72.8キロ。

という訳で、現時点で目標達成です。
ただ、1時間半、ジムで汗を流した直後の目標達成なので、あくまでも瞬間風速です。
日曜日の朝6時に起きた段階で、最低でも74キロ以下であることはマストです。(1キロ位ならば、1時間程度のジョギングで落とす自信があるので。)

試合直後にすぐしたい事。
- キンキンに冷えたビールを流し込む事。
- ケーキとアイスを食べる事。
- とんかつとシュウマイを心ゆくまで食べる事。
兎に角、泣いても笑っても、あと5日です。
がむしゃらに、頑張ります!

2009年9月12日土曜日

残り1週間。怖さもあります。

本日は土曜日なので、朝からジムに行き、1週間後のキックの試合に向けて、最終調整に入っております。
73キロクラスで申し込むことが決定したので、あと最低3キロ程度は減量する必要があります。

という訳で、今週は、酒を一切、飲まないことします。
また、食事も腹6分目を守り、必ず体重を落とします。
来週は、残業もあまりせずに、毎日ジムに行って、最終調整をしようと思います。

私が、最後に試合に出たのは、フィリピンに行く前の2000年秋。
しかも、フルコンタクト空手の試合でした。
海外勤務が6年以上に及んだと言う面はあるにせよ(マニラと上海)、9年間、きちんとした試合には出ていません。
(勿論、ジム内でスパーリング程度はやっておりましたが。)
キックや空手の打撃系格闘技を長いことやっているので、怖さも分かります。
正直、怖いです。
しかし、これを引退試合とするので、勇気を奮い起こして、全力で戦います。

兎に角、後一週間です。
がんばります。

2009年9月9日水曜日

SNSサイトの凄さまじさ。

ITの凄さを改めて実感しました。
仕事でも十分に役に立つSNS(ソーシャルネットワーキングサイト)ということで、感想を書きます!

Citrix Xenappのコア技術であるICAプロトコルに関し、技術的な疑問点があり、OKwaveと言う
SNSサイト(Social Networking Site)で、質問したところ、一夜にして、良質な回答がやってきました。
感謝感激です!
(因みに、非常に大雑把にいえば、ICAプロトコルとは、Microsoft社のWindowsのRDPプロトコルの発展型です。)

それにしても、ちょっと前(少なくとも20世紀中)までは、何か疑問点があれば、「専門のベンダーを電話帳で探し、電話をして、お金を払って聞く。」とか、「図書館や本屋に行って、その手の本を入手して、時間を掛けて調べる。」と言うオプションしか無かったのに、今は簡単に出来すぎて、逆に怖いくらいです。

やはり、ITって凄い!!!
因みに、質問と回答は、ここに載っています。
↓     ↓     ↓
http://okwave.jp/qa5269719.html

2009年9月4日金曜日

終わりの始まり。(格闘技)

終わりの始まりです。
10数年にわたり趣味としてきたアマチュア格闘技ですが、いよいよ引退しようと思います。

思えば、昔から格闘技が趣味で、27歳からフルコン空手を本格的に始め、31歳から海外勤務を始めて、
道場に物理的に行けなくなっても、日々の自己鍛錬を欠かした事はありません。
(おそらく、全く運動しなかった日と言うのは、ここ10年間、一日もないのでは???)
34歳で日本に帰ってきてからは、キックボクシングに転向し、早5年。

まだまだ、楽しい。
しかし、最近は、ジムでスパーリングをやっていても、若いときには感じなかった「怖さ」を感じます。
こういう中途半端な気持ちで、格闘技を続けるのは、「格闘技に対し、失礼だ!」と考えるので、
今月末のアマチュア大会での試合を最後に、きっぱり格闘技から卒業しようと思います。
もう潮時だと思います。

今は、最後の試合に向け、減量に入っております。
試合の様子は、ブログに必ず、アップします。
請うご期待。
格闘技を辞めた後は、ゴルフとテニスを始めようと思います。

2009年8月31日月曜日

珠玉の言葉。


素晴らしい文章に出会ったので、転記します。
正に、珠玉の言葉だ。
=============================================================
『統帥綱領』第一章「将帥」
「統帥の中心たり、原動力たるものは、実に将帥にして、古来、軍の勝敗はその軍隊よりも、むしろ将帥に負うところ大なり。
戦勝は、将帥が勝利を信ずるに始まり、敗戦は、将帥が戦敗を自認するによりて生ず。故に、戦いに最後の判決を与うるものは、実に将帥にあり」
・・・フランス軍が強かったのではなく、ナポレオンが偉大だったから部下はどこまでも付いていったのである。

2009年8月29日土曜日

1993年の曲かあ。。



つい最近の曲のつもりでいたが、既に16年前。
あの頃は、私はまだ、東京の大学生で、出没Fieldは、渋谷と新宿。
青かったなあ。
今になって思えば、どうでもいいような事を、いつも真剣に考えていたし、色々な事象に対し、問題意識を持っていた。
国内政治的は、宮澤喜一とか羽田勉が首相だった頃。
経済的には、バブルが弾けた後とは言え、日本経済は未だ強く、アジア最強の地位は疑いも無かった。
あれから、16年間の間に、IT革命による生活スタイルの大激変、急速な国際化、中国とインドの台頭、日本社会の急速な高齢化と
国際社会における相対的な地位の低下等が起きた。
「『失われた10年』なのではなく、実は、『失われた20年』であり、今も日本は、奈落の底に落ちている最中なのでは?」
と真剣に危惧します。
これから先、10年とか20年の間に、いったい何が起きるのであろうか?
P.S.
ところで、明日は、衆議院選挙です。
私は、誰に入れようか、まだ決めかねています。
「コメディアンを擁立すれば、票が取れる!」と真剣に考える選対本部長がいる自民党には入れたくない。
 → ここまで、国民を馬鹿にしていいのだろうか? 国民侮辱罪とかは無いのか?
国旗を切り裂く候補者に対し、何のアクションもとれない民主党にも入れたくない。
 → そもそも政治思想が違う集団の寄せ集めの民主党には、何も期待はできない。
どうしたものであろうか?
因みに、高校の同級生で木原という者が、東京20区から、自民党公認で出ています。
現職ですが、今回は、かなり厳しいみたいです。
高校時代には、同じクラブに属していながら、まともに話す機会も無かったですが、国会議員となった後の
彼の保守政治家としての信条、国会議員として、きちんと国家を語る姿勢には、感服しております。
最後の最後まで、悔いの無いように戦って欲しいなあ。。。

2009年8月14日金曜日

仕事の本質

10年ほど、ITの仕事をやっていて(その前は4年間、銀行員をやっていましたが)、
仕事の本質とは、「地味な作業をどれだけ根気強く出来るか?」というものであることを改めて認識しました。
 
今日も、某SI(システムインテグレーター、ITベンダー)の営業が来て、横文字を捲くし立てながら、いかにも「出来る男」を演じておりましたが、
10年間、ITを仕事にしている私には、全く通用しませんよ。(笑)

勿論、ITは簡単ではない。
IT全般に渡る基礎理論を押さえるだけでも、普通は5年以上は掛かる。
そこから、経験を積みながら、理論を深めるのに、さらに数年は軽く掛かります。
したがって、7~8年間やって、やっと、プロとしてのスタート地点です。
しかしながら、そんなITプロでさえ、最終的には、ルーティンで地味な作業こそが、
Secure Network構築の基本であり、殆どすべてであると気がつくのです。

カッコいい横文字を並べ立てて、専門家ぶっている様では、まだまだですよ。

2009年8月5日水曜日

馬鹿にしてんのか?「みんなの党」

渡辺新党には期待していたのに、「国民をおちょくってんのか?」という感じのふざけた名前だ。
わざわざ、喧嘩売る様な政党名を付けるところが、本当に馬鹿っぽい。
穿った見方をすれば、「反自民の票をいくらか取り込むことで、結果として民主党の得票数を多少なりとも減らし、相対的に自民を有利にしようと言う腹なのか?」とも思う。
とても、真面目に勝とうと思っているとは思えない。
とすれば、「渡辺は、自民と裏で通じているのか?」とまで思ってしまう。
渡辺新党には、比例で入れようと思っていたが、政党名が気に食わないので、止めました。
「国民会議」とかにすれば良かったのに。
渡辺本人は、国民受けを狙ったのかもしれないですが、絶望的に馬鹿っぽい政党名だ。
渡辺って、頭が悪いんですね。 

2009年7月29日水曜日

不思議な事が発生しております。


ITの仕事には、既に10年位は従事しております。
内、最初の数年は、IT営業をやっておりましたが、ここ7、8年は、主に、Network Security Engineerとか、IT Managerとして働いております。
ここ数ヶ月の話ですが、今まで理解できなかったIT系の各分野
の話が、突然、芋ずる式に分かり始めました。
あたかも難しいパズルが突然、埋まり始めた様な不思議な感覚です。
勿論、長年の努力が報われている様な気がして、嬉しいのですが、
同時に、不思議な感覚に囚われております。
因みに、ここ数ヶ月で、理解が急激に深まった分野は以下です。
- クラウド概念(SaaS,PaaS)
- DB(SQL)
- VMWare
- Citrix Xenapp
-  Web Application開発(Mysql+PHP+JavaScript+HTML)
因みに、私にとっては、降順で理解するのが大変でした。
クラウド概念に関しては、1年。
DBとVMWareに関しては、3年。
Citixに関しては、5年。
Web Application開発に関しては、7、8年の時間を掛けながら、少しずつ
、理解を深めていたつもりですが、それらが突然、全部、急に理解でき
る様になりました。
本当に、不思議な事があるものですね。。。。
私にとって、Citrixは実務でも本当に苦労したので、2週間前にすべてが、急に理解できたときは、泣けるほど嬉しかったです。
Web Application開発に代表されるプログラミングは、Network Securityの専門家としては本職ではないので、実務でどっぷり漬かっていた訳ではないですが、それでも、たまには、理解できないなりにも雑誌を読んだり、専門書を眺めたりして、知識の吸収だけはやっていたつもりです。それが、突然、理解出来るようになりました。
繰り返しになりますが、本当に不思議ですね。
この様に、今は乗りに乗っている時期なので、このペースでいける所まで、突っ走りたいですね。
とりあえず、今後の目標として、「VMWareを使いこなすレベルに達する。」、「PHP言語を使いこなす。」、「Eclipseを使ったJava開発手法のマスタする。」及び「HTML技能を高め、高度なWeb Designができるまでになる。」を挙げます。
これらは、すべて「クラウドへと繋がる道」と確信しております。
兎に角、年内は「強化期間」として、普段以上に精進します。 

2009年7月17日金曜日

ITの難しさを改めて認識した!


今日は、少し仕事の話を。
私の仕事は、一般的に言えば、IT関係ですが、もう少し詳しく描写するならば、
Network Security(主にLAN側)のプロという事になると思います。
従って、Firewallとかルーター、各種サーバー構築等が主な業務となっております。
10年位、IT関係の仕事をやって来ております。
最初の数年は、FirewallとかRouterが、Network Securityの技術的な核だと思っておりました。
そして実際に、ルーターやFirewallの概念を十分に理解するまでに、本当に苦労しました。
一方で、サーバー構築と言うのは、最初の頃は、結構、ナメていました。
Network管理サーバーの本質とも言える、WindowsのDomain Controlサーバーや、
Fileサーバー、プロキシーサーバー、DNSサーバーの構築管理も、「Router管理程の取っ付きにくさは
ない。」と当初、思っていたからです。
(これは、今となってはかなり的外れな思い込みで、DNSとかWinsの概念を理解するのには、実際苦労
したし、簡単に見えるFileサーバーの設定(アクセス権設定等)も意外に奥が深いのに、その後、驚く事になります。)
 
そんな中で、5年前に出会ったのが、当時のMetaframeアプリケーションサーバーでした。
(その後のCitrixサーバー、現在のXenappサーバーです。)
初めて触れたのは、5年前ですが、兎に角、何が何だかさっぱりわからなかった。
インターネットや書籍で、いくら調べても、何が何だかチンプンカンプンと言う状態でした。
Network Securityの専門家が運営しているサイトでも、「Metaframeは使いにくい。」
と言う記載はよく見るし、私もずっと、「Metaframeはバグばかり。」と信じて疑いませんでした。
3年位前に、再度、本格的に設定する機会があったのですが、マニュアル通りに、最低限の設定をして、
お茶を濁したと言う苦い経験があり、私も心理的に「Metaframeには関わりたくない!」と
つい最近までずっと思っており、毛嫌いしておりました。
そんな中で、ごく最近、どうしてもこのサーバーを新規に設定しないといけない事態に追い込まれ、
いやいやながら、最近、2台のXenappサーバーを構築設定しました。
 
今回は、幸いにも詳しい人から、適切な助言を随時もらえたという幸運はありましたし、私の知識経験
も深まっていたので、苦労はしましたが、プロとして恥ずかしくないレベルで、何とか構築できました。
 
この5年間のCitrixサーバーとの格闘を通じて感じたのは、ITの奥深さと、壁にぶち当たっても、何年も努力していると、「何事もある時、突然、理解できる時期が来る!」と言う当り前の真理です。
「何事も諦めてはいけない!」と改めて、痛感した次第です。
 
Xenappサーバー構築で悩んでいる多くのエンジニアに、助言をするとすれば、Xenappサーバーを理解する為の近道は、下記だと思います。
ご参考にしていただければ、幸いです。
1)Windows Terminalサーバーの機能とか役割をもう一度、整理する。
2)XenappのクライアントライセンスとWindows TSCALのライセンスの仕組みに関して、
  改めて知識整理をする。 また、ライセンスサーバーの概念をよく理解する。
3)Windowsのプロファイルの概念をよく理解する。
4)IE(特にAdd-onやSecurity Setting)に関して、よく勉強する。
5)NATやIPマスカレード等のNetworkの知識も当然必要なので、Networkの知識も整理する。
 
上の様に、改めて整理すると、Citrixサーバー構築には、Network全般とWindowsサーバーに関する深い
知識が必要な事を改めて痛感します。
兎に角、5年越しの悩みが今週、解決できました。
何だかすっきりしたなあ。。。。
今回の構築成功で、Network Securityのプロとして、一皮剥けたと自己満足をしております。
 

2009年7月4日土曜日

小泉元首相には、個人的に「恩義」がある。

衆議院の解散総選挙が近そうですね。
いよいよと言う感じですか。
私は、いわゆる無党派層なので、自民党に対して特別な思いはありません。
しかしながら、小泉元首相には、個人的に感謝しており、その関係で、今までの選挙では、自民党に一票を入れてきました。
(次回の選挙で、どこに入れるかは、さすがに微妙ですが。)

今日の話題は選挙ではなく、なぜ、私が小泉元首相に個人的に感謝しているかを説明したいと思います。
(因みに、私の現在の選挙区は小泉Familyの地盤である神奈川11区とは、全く無関係です。)

端的に言えば、私の魂を救ったのが、小泉氏からだからです。
具体的に書きましょう。
(因みに、この観点は、小泉氏について書いた如何なる著作及び、記事においても、指摘されてこなかったポイントだと思っております。)
90年代後半から、2001年に小泉氏が首相になるまでに、村山富一、橋本龍太郎、小渕恵三、森善朗と首相がめまぐるしく変わりました。
先日、有罪が確定した元外務省職員、佐藤優氏に拠れば、「橋本、小渕、森がとても優秀な首相で、小泉は史上最低の首相だ」との事でした。
(断っておきますが、私は佐藤優氏の初期の著作は基本的に全部読破したし、デビュー作の「国家の罠」と「私のマルクス」には、知的に
 面白かったとの感想を持っております。)
佐藤氏は、その著書の中でも執拗に、小泉氏をこきおろしており、橋本氏、小渕氏を絶賛しておりますが、かなり偏ったと言うか、間違っ
た認識だと思います。
その意味で、「佐藤氏は、思い込みが激しいのでは?」と最近は考えております。

さて、行きましょう!
政治家というか、ビジネスマンでもそうですが、リーダーに必要な資質とは何でしょか?
「陰気な顔をしながらも、実は、権謀術数を駆使して、ふと気がつくと実績を出している」と言う様な「陰性植物」の資質では断じてない筈です。
そうした裏方(汚れ仕事)は、政治の世界では官僚が、ビジネス界では係長・課長クラスの中堅がやることです。
リーダー自身が、陰性植物ではいけないと思う。
リーダーたるもの、虚勢でもいいから、陽性であるべきだというのが、私の信念です。

その意味で、橋本も小渕も森にも、私は本当に失望していた。
当時、外交政策を見ていても、ただ、外国にぺこぺこ頭を下げて、金を貢いで喜んでいる「貢ぐ君」にしか、
わが国の国家元首が見えなかった。
私は当時、20台後半の若者であったが、あの当時、海外旅行に行っても、日本人と言うのが恥ずかしかった。
「卑屈に屈服して、海外で金を貢ぐだけが取り柄」の国家の国民と見られるのが、本当に嫌だった。

アメリカに旅行に行くと、向こうでは、「中国人です。」とか「韓国人です。」とか「自称」していました。
私に限らず、あの頃は、多くの日本の若者が、海外で「国籍詐称」をしていた。
朝日新聞か何かでは特集まで組まれたと記憶しております。
また、あの当時、世相に敏感に反応する若い女性による、「援助交際」が社会問題になったのも記憶に新しいと思います。
もうひとつ例を挙げれば、あの頃、若者の間で流行った、おやじ狩りや、カラーギャングと言われる現象もそうでしょう。
とにかく、時流に敏感な若者が男も女も、刹那的に、暴力的に生きていたのがあの時代であった。
つまり、あの頃、若者を中心に、日本人全体が、どうしようもない屈辱と虚無感にまみれていたと私は分析しております。


私自身も当時、日本人であること自体を恥ずかしいと思っていたし、日本社会に絶望していた。
したがって、2001年の初めに、逃げるように日本を離れ、「フィリピンで月給3万円のフリーター生活」を始めました。
あの当時の卑屈な祖国から逃げたかったし、日本人と言う国籍さえも消したかった。
兎に角、祖国であり、母国である日本を、ここまで駄目にして、国民を屈辱にまみれさせたのは、村山であり、橋本であり、
小渕であり、森であると、当時思っていたし、今でもそう思っている。
その意味で、かれらは明らかにリーダー失格であった。

そこを佐藤氏は忘れている。
幼稚な意見であることは、百も承知。しかし、幼稚であるからこそ、本質的であり、重要でもある。
「国民に勇気を与えられなかった。」、「国民を屈辱にまみれさせた」と言う「罪科」が、上記4名の首相には、確実にあると思います。
正に、罪将。

その後、首相になったのが、小泉氏。
兎に角、勢いが良かったし、外国に対しても、「言うべきことキチンと言っている。」と言う印象は、国民に与えた。
小泉氏が首相になってから、日本全体を覆っていた屈辱感が払拭されたと思っている。
海外で、「国籍詐称」する日本人の若者も、問題にならなくなったし(現に私もマニラで、”I am Japanese."と普通に
言える様になった。)、渋谷あたりで問題になっていた若い女性の「援助交際」も、突然、下火になった。
そして、私も小泉政権絶頂期の2004年には、「素晴らしい祖国に帰ろう!」と思い、フィリピンでの4年に渡るフリーター生活を
終わらせて、日本に帰国しました。
もし、あの時、小泉氏ではなく、別の人が首相になっていたら、日本は、色々な意味で完全に終わっていたでしょうし、
国民は、絶望と屈辱にまみれている様な虚無的な世界が生まれていたでしょう。

小泉氏は、日本を救った。
そして、私の今があるのも、すべて小泉氏のおかげと思っております。
その意味で、小泉氏には深謝しております。
佐藤氏は、実務家として甘い!
「神学の知識はあるし、思想史にも精通しているのであろうが、逆に言えば、それだけなのでは?」と最近は思っております。

2009年6月27日土曜日

VMの凄まじさに脱帽。


ITの世界で、ここ数年で大きく、クローズアップされた技術があります。VMWareとか、Xenと言われる商品に代表されるVirtual Machineです。
私自身も、仕事柄、概念は勉強していたし、テスト的に環境を設定して、色々と調べたことはありましたが、今週は、緊急事態が発生したので、実運用環境で使ってみました。
まあ、兎に角、凄まじい。
思った以上の利便性と簡易性、及び実運用に耐えうるタフさがあります。今回は、実運用しているサーバーが物理的に破損したので、緊急に代替サーバーを立てなくてはいけなかったのだが、適当な別サーバーが見つからなかった。そこで、テスト環境で設定していたVMマシーンに、Windows2003サーバーを立てて運用したというケースでした。
細かい技術的な内容は、ここでは述べませんが、このVMマシーンと、今、急速に勃興しているクラウド技術を組み合わせれば、事業会社のNetwork管理に革命が起きると思います。
また、一般のユーザーにとっても、「PCを購入して、Windows OSとOfficeを入れて、ドキュメントをローカルに保存して、動画見たいなら、動画再生ソフトをインストールする」なんて、かったるい事が、あと数年でなくなるでしょうね。ゲイツ元年と言われる1985年を超える革命が、来年には確実に起きると確信した。
我々の生活も激変するでしょう。
仕事のやり方、メディアのあり方、政治のあり方、そして我々の生活形態の激変が起きると予感します。
ITは、本当に夢があるし、面白い。

2009年6月18日木曜日

今までの人生で出会った中で、一番いい曲だと思う。

完璧な音楽。

今までの人生で出会った中で、一番いい曲だと思う。
必ず、歌いこなせる様になります。

2009年6月14日日曜日

ビジネス世界は、実力がモノを言うジャングルだ!

先週の金曜日(6/12)に、幕張メッセで開催されたIT展示会に行ってきました。職業柄、この手の展示会とかセミナーにはよく出席するのですが、今回は、色々な面で素晴らしく、感動した。
IT業界動向的な事を言えば、「クラウド」と言う、数年前まで、夢のまた夢と言われていた様な技術が、いよいよ具現化しつつあると言う事を確信した。
おそらく、数年内に本格的なネットコンピューティングの世界が出現する事となるでしょう。
細かい技術的な内容は、ここでは説明しませんが、15年前のWindows95革命、10年前に起きたブロードバンド革命を遥かに凌駕するレベルの激震がIT業界に起きるでしょう。
今後、徹底的にこの分野を研究してゆきたいと考えております。

もう一つあります。
あの、かの有名なiMode生みの親と言われる夏野剛氏の講演がありました。
「近未来の携帯電話」をテーマにした内容でしたが、テーマの内容以上に、彼のキャラクターに感動した。
氏曰く、「現在、8つの会社で役員をやっている。」との事だったが、そのこと自体に、ビジネス界の時代の流れを感じた。

私がサラリーマンを始めた90年代初頭では、大企業の役員と言うのは、サラリーマンのゴールであり、夢であると共に、ビジネスマンとしての終点であった。
よって、新卒でどっかの会社に入社して、若いころは一生懸命雑用をして、上司や先輩に怒られながら、一歩ずつ社内で地位を上がり、30年位掛けて、
ごく一握りの者が社内出世競争に勝ち抜いて、役員になると言う神話を、深層心理の中で信じていました。
しかし、そういう古い体質の会社システムに、氏の存在自体が真っ向から反対しており、その事自体が、私にとっては、改めて、衝撃的であった。
私の様に、6回の転職している人間には、「役員」なんてのは無縁の話だと深層心理で思っておりましたが、能力と努力で、克服できることを、氏を見て、改めて実感した。
やはり、ビジネス世界は、実力がモノを言う、ジャングルだと言う事を痛感した。
兎に角、とても充実した展示会であった。

2009年6月6日土曜日

TEPテスト2級を受験してきました。Vol.3 【英語資格試験】

まず試験結果です。

結果は、合格。

英文和訳は、100点満点で95点。
修辞は、100点満点で70点。
和文英訳は、50点満点で35点。
因みに、合格基準点は、それぞれのパート別に、50点、55点、25点で、合計130点。

私のスコアが合計200点の事を考えると、余裕で合格と言えるのではと思います。因みに、受験者全体の合格率は、43%との事。
では、英検とTOEICとの比較に入ります。

さっきも言いましたが、TEPテストの問題そのものは素直だと思ったし、ヒアリングもないので、英検やTOEICに比べて、気が楽だった。
(私は、本当はヒアリングの方が得意なのだが、やはり読解の方が今でも気楽に受験できます。)
問題のレベル自体は、英文和訳については、TOEICの英文の難易度以上、英検準1級の難易度程度。
修辞に関しては、英検準1級をクリアできたり、TOEICの読解パートで、495点中で400点程度取れる人なら、合格点クリアは簡単でしょう。
和文英訳は、英検準1級のそれと同じくらいでしょう。
英検1級の様な、自由英作分に比べれば、勿論、簡単です。

全体的にみれば、Technical Writingと言うのは、小説読解やエッセイWirtingに比べれば、楽だと思う。
と言うのも、凝った言い回しや知的に洗練された英文を読んだり書いたりする能力よりも、文法通りにがっちり書く文法力と、平易で簡潔な英文を書く「英文慣れ」がモノをいう為です。

ただ、全問記述と言う「肉体労働」はやはりきつかった。
全問記述で、ヒアリングがないと言う意味で、英検やTOEICとの比較はできないと思うが、それでも敢えて比較すると、問題自体の難易度というよりは、合格点取得の難しさと言う意味で、下記の通りかと思います。

TOEIC読解パート495点中350点取得<<<TEPテスト合格≒TOEIC読解パート495点中400点取得<<<英検準1級読解・Essayパート得点率90%<TOEIC読解パート495点中450点取得<<<<<英検1級読解・Essayパート得点率70%って感じですかね。

次回の英語資格試験受験予定は、秋の通訳ガイド試験です。
←← マニアと化してますね。(笑)

2009年6月5日金曜日

TEPテスト2級を受験してきました。Vol.2【英語資格試験】

夜も更けたし、既に一杯やってしまいましたが、約束通り、更新します。(笑)

まず、3パートの中で最初のパートである英文和訳に関し。
2題の長文の全文和訳と言う問題だった。
時間は40分。
内容が難しいとは思わなかったが、量が多かった。
特に、最初の1題目が長かった。
最初の1題目を一通り訳し終えた時には、既に25分が経過していた。
少し焦った。
と言うのも、とりあえず訳しただけで、日本語の推敲も出来ていなかったので。。。。

この時点で、1題目の推敲に入ろうか、それとも2題目に入ろうかを少し迷ったが、残り10分強である事に気づき、兎に角、2題目に入った。
2題目を殴り書きの様に訳し終えた時には、既に35分を過ぎていた。
かなり焦った。
この時点から、日本語の推敲に入った。
一題目の日本語訳には、「てにをは」がおかしい所が数箇所あったので、そこを超特急で修正。
既に残り2分強。
2題目の日本語訳は、我ながら、流れる様な日本語約だったので、問題なしと思ったが、最後の一文が倒置法である事に最後の最後に気がついた。
超特急で、如何にも「倒置法を見抜きました。」と、採点者にアピール言う事が分かるする様な日本語訳に、修正した。
ちょうど、修正が終わった瞬間に、試験官が「ハイ!やめて下さい。では、次の修辞パートへと進んでください。」との合図があった。
この英文和訳パートは、英文が難しいとはまったく思わなかった。
英検1級の読解問題のあの膨大な量に比べれば、勿論、量も少ないし、
内容も科学技術系の文章とは言え、英文自体は素直であった。
ただ、日本語訳と言う「肉体労働」を考えると、時間がきつかった。
TOEICでは、75分の文法読解パートで、いつも15分は時間を余らせる私にとっても、TEPテストの日本語訳と言う肉体労働はつらかった。
できれば、推敲にあと10分はかけたかったと言うのが、終了直後の感想だった。

2パート目の修辞パートについては、あまり語ることはありません。
修辞と言うと仰々しいですが、要するに文法問題。
元々、文法には強いし、辞書持込試験というのもあり、分からない単語があっても、その場で調べられるので、全く問題はなかった。
ただ、採点者の裁量で、どうとでも採点できるパートでもあるので、字を綺麗に書くとかに気をつかった。よって、時間が余りまくったと言う訳でもなかった。
40分のパートを、30分強で終了。10分弱を推敲に使った。

最後の和文英訳パートだが、出題2題の内、どちらかを選んで、和文英訳をすると言う問題だった。
どんな問題だったかも忘れましたが、2題両方に「ぱーっ」と目を通して、どっちの問題も、私自身は同じ位、素養があるし、難易度も同じ位と考えたので、素直に1問目を回答した。
このパートは20分と短いので、スピードに乗って記述した。
そうしたら、10分程度で終了したので、残りの10分は、推敲したり、辞書を使って、単語を置き換えたりした。
そうこうしている内に、終了。
全般的な感想として、全問記述という肉体労働がきつかった。
ただ、問題自体は難しいとは思わなかったし、修辞パートは、今までに見たことのない文法問題のタイプで、面白かった。
因みに、TEPテストのサンプル問題は、ここにあります。
↓    ↓     ↓
http://www.teptest.com/2nd.html

一回、休憩します。
書きすぎて疲れました。
10分後に再度、更新します。

試験結果と、皆さんお待ちかねの英検・TOEICとの比較をします。

TEPテスト2級を受験してきました。Vol.1【英語資格試験】

久しぶりの更新です。
Viewerが少ないので、更新の意欲が薄れてしまい、意気消沈しておりました。(笑)
いままで、ITの事、趣味の格闘技、時評、書評等をブログに記載しましたが、
どれも人気がありません。

今回は、Viewer増を狙って、人気のある英語資格試験のことを書きます。(笑)
今回は、「早稲田大学-ミシガン大学 テクニカルライティング検定試験」 (通称TEPテスト)の2級を受験レポートです。
なぜ、こんなマイナーなテストを受けたかというと、理由は簡単。
と言うのも、会社の仕事が最近、暇なので、社内の英語セミナーを3回程、暇にあかして、勤務時間中に出席しました。
(しかし!世の中そんなに甘くなかった!)

最終日に、「次回開催のTEPテスト2級を受験しろ!落ちたら、セミナー代は給料から差し引く!」と言われ、焦った。
これが受験理由です。(笑)
このテストは、下記のサイトによれば、20年の歴史があり、「国際ビジネスに不可欠な実務英語(レター・ファックス・E-mail などの通信文、論文、スペック、提案書、契約書など)の運用能力を測定する試験」とのことです。
↓      ↓      ↓
http://www.teptest.com/outline.html

因みに、1級から4級まであり、1級が一番難しいらしい。
受験した2級の評価基準は、上記サイトによれば、「各種英文ドキュメントに共通する、英語の基礎能力やパラグラフの基本構成などを問う。「正確性」、「明快性」、「簡潔性」、「客観性」、「効果性」を主に評価。」とのことです。
試験時間は合計100分で、英文和訳(40分)、修辞(40分)、和文英訳(20分)の内訳となっております。
各3パートで、それぞれ、基準点をクリアし、なおかつ、3パートの合計点でも、基準点をクリアしないといけないとの事。
また、試験の特徴としては、全問記述式で、リスニングはなしです。
試験は、5月の中旬にありました。

問題は回収されたし、答案も返却されないので、記憶になってしまいますが、英検やTOEIC等の他の英語資格試験との比較をしてみたいと思います。
とここまで書いて挫折。
本日夜、更新します。

2009年4月14日火曜日

Obama政権のキューバ政策。

http://rss.cnn.com/~r/services/podcasting/newscast/rss/~3/eKasKIehdPQ/CNN-News-04-13-09-7PM.mp3

今朝のCNNのPodcastによると、キューバへの米国民による親類訪問が解禁されたそうです。(送金も)
Obama政権は、とにかく、動いていますね。
大胆な動きに、驚いた。

2009年3月22日日曜日

英語の凄い勉強方法を発見!

英語の凄い勉強方法を発見。

英語のHearingの勉強と言えば、私の場合は、CNNやBBCニュースを見ることで、ここ10年位はやってきました。(これ以外は、殆どやっていません。)
まあ、逆に言えば、これだけで、TOEICが900点を超え、英検1級も取れたのだから、この方法はそれなりに効果があったとは思います。

ただ、CNNやBCCをいくら聞いていても、SCRIPTがないので、聞き取れなかった部分は、
そのまま聞き取れないままで終わっていたが、International Herald Tribuneでは、
SCRIPTの横に、"Listen to Article"のタグがあり、SCRIPTを目で追えます。


これを集中して聞きながら、次に記事を読んで、また聞き直すという手順を踏むことで、

「ヒヤリング力が劇的に上がるのでは??」と期待しています。
確かに、ハリウッド映画のDVDでも、英語字幕は付けられるけど、DVDショップに行くのが面倒
くさいし、映画の英語と言うのは、スラングが多くて、あまり勉強になりません。
このHerald Tribuneの「記事読み+Listening」なら、手軽かつ趣味の国際情勢と言う意味で、
私の興味も湧きます。 これもすべて、ITの力ですね。
やっぱり、ITって凄い!

2009年3月21日土曜日

「グローバルビジネスリーダー育成セミナー」

今週は、一日だけだが仕事をさぼって、コンサルタントの船川淳志氏が開いた
「グローバルビジネスリーダー育成セミナー」に終日出席した。
今まで、この手のセミナーにはあまり興味が無かったが、今回は面白かった。出席して良かった。
氏のざっくりとした経歴はここ。→ http://www.bbt757.com/servlet/ShowLecturer?lecid=0320

実は、10年位前に、シカゴ大学でMBAを取ったとかいう人のセミナーに出てみて、そのあまりに表層的
かつ頭でっかちなだけのセミナー内容に失望し、この手のセミナーに対する興味は全く失っていたのだが、
今回の船川氏のセミナーは、兎に角、面白かった。
船川氏は、「ただ勉強を一生懸命して、頑張ってMBAを取りました。」と言う頭でっかちの秀才タイプではなく、
豊富なビジネス経験に裏付けられたプロのビジネスパーソンであると思ったし、その話術も人を惹きつけるモノがあった。
本物特有のド迫力があった。
セミナーの冒頭で、氏は下記の様に言っていた。
「Webやビデオでは決して伝わらない、Liveでしか伝わらない本物の講義をしたい。」
その通りの講義であったと思う。
人間力に満ちていた講義であったし、対人交渉力の重要性を改めて認識させられたセミナーであった。

実は、3週間ほど前に、原田武夫さんと言う元外務官僚の無料セミナーに出た。
言っている内容自体は、非常に衝撃的であったし、ある意味、ロジカルであったと思うが、
イマイチ、こう何というか、気分的に彼に対し、乗り切れない部分が私の中にあったのも事実である。

「原田氏と船山氏の違いは何であったのであろうか?」と今となっては考えます。
誤解を恐れずに言うのならば、勉強家の原田氏と、実務家の船山氏の迫力の違いだった様な気がします。
より率直に言えば、人間力の違いだった様な気がします。
もっとも、私と同じ年齢(38歳)の原田氏と、一回り以上、年上の船川氏と人間力の比較をするのは、酷なのでしょうが。
兎に角、「私もまだまだ、青いです。」と反省させられた船川氏のセミナーでもありました。
最後になりましたが、今読んでいる船川氏の著書です。
↓   ↓    ↓
考えるプロが明かす「思考の生活習慣.htm

2009年3月15日日曜日

趣味の話を少々!

私が尊敬する空手家、数見肇です。
いつか是非とも、指導を受けてみたい!
侍ですなあ。。

2009年3月14日土曜日

日本の新聞では報道されていない!

こんな重要な事件が、日本では報道されていません。

http://www.iht.com/articles/2009/03/13/america/12webchina.php

日本のマスメディアは、一体、何をしているのか?
意図的に無視しているのか?

2009年3月8日日曜日

拓銀の亡霊

「札幌北洋銀、公的資金1000億円申請へ」だそうです。
→ http://www.hokkaido-np.co.jp/news/economic/151503.html
北洋銀と言えば、1998年にあの拓銀の北海道エリアの業務を継承した銀行です。
そして、拓銀のスタッフを大量に引き受けた銀行です。
本州地区の業務を継承した中央信託銀が、継承後数年内に、元拓銀のスタッフを
リストラでほぼ追い出したのに対し、北洋は重用したと聞いております。
私は、拓銀崩壊後、拓銀を離れ別業種に行った人間ですので、北洋銀の事は、
新聞報道程度しか知りませんが、「北洋銀に移った元拓銀スタッフは、本当に
元拓社員として、自分を顧みて、反省したのか?」、「北洋銀は、拓銀がなぜ崩壊したのかを
きちんと分析した上で、元拓スタッフを重用したのか?」と疑問が残ります。
以前のブログでも書きましたが、拓銀崩壊の根本原因は、甘えと勘違いと能天気さです。
こういう記事を読むと、「その事を、北洋銀は理解していたのですか?」と問いたくなります。
拓銀の亡霊がまたもや、我々の血税を奪いましたね。。。

2009年3月2日月曜日

Truth of Moment....

別サイトの記事ですが、私的には、貴重な意見だったので、ここでも書きたいと思います。

→ http://komachi.yomiuri.co.jp/t/2009/0227/227404.htm?g=08

このサイトの質問者さんの率直な記述に、英語学習者として、ある意味、安心しました。
私にとって目新しいかったのは、以下のコメントです。

>論文は簡単に読めますが、小説は知らない単語が多くて辞書が必要です。
イギリスで博士号まで、取得した人でもそうなのか。。。。
私も、論文とか、専門の技術書は、普通に読めますが、小説は何度、トライしても、つらくて、途中で挫折します。
という訳で、何だか安心しました!(笑)

>日常会話は、イギリスで老人介護のアルバイトをしていたので、難しい内容でなければ大丈夫です。
>ただ、私の専門外の話、経済とか法律とか医学の話を早口でされるとわけがわかりません。

ここは、激しく同意します。
よく、「日常会話なら問題ないけど、専門的な会話は無理です。」と言う英語初心者がいますが、
私からすれば、日常会話程、難しい英語はないと思います。
技術的なトピックに特化した会議や、Formalなプレゼンの方が、日常会話よりも、よっぽど簡単ですね。。。
また、どんな良くできた英語教材も、「複数のNative Speakerが、同時にベラベラとしかも、興奮しながらまくしたてる」と言う、
バリバリの実務を想定していないので、Nativeが興奮して早口になったら、Non-Nativeはまず、アウトですね。
ここでも、安心しました。(笑)

と言うわけで、「自分は、英語資格試験の成績が良い割には、実践能力が、それに伴っていないのでは?」と地味に心配していたのですが、
この質問者さんのコメント読んで、「やっぱり、そんなもんなのか??」と納得できたという意味で安心しました。(笑)
英語学習者の皆さん、一緒に頑張りましょう!

2009年2月28日土曜日

英語が通じない!!!!

昨日、ドイツ人3人と、仕事上の話をした。

先方3人組は、ITの素人で、私が説明役だったが、いつもの事ながら、
英語の奥深さを感じた。

彼らの英語は流暢だった(と思う)し、ドイツ訛りも、あまり強くなかった(と思う)。
彼らが普通にしゃべっている分には、私の受け答えも問題ないが、3人が興奮して、
「ドイツならこんな事は、簡単に出来る。なぜ、日本ではそんなに難しいんだ!」と
スラングを混ぜながら、3人でワアワア言って来た時には、正直、言っていることの6割位しか
理解できなかった。
(因みに、彼らの苦情は、IT技術的に解決不可能な話で、彼らの勘違いであるが、
客と業者の関係と言う手前、"Impossible!"と言い放って、会話を終了できないのが辛い。(涙))

今回のコミュニケーション不足の原因を、単に「彼らは英語のNative Speakerではないから、理解できなくて当然だ!」と切り捨てることは、
英語学習者としては、したくない。
やはり、「映画を字幕なしで、理解する英語力を身に付ける!」と言う長年の目標を今こそ、達成すべきなんだろうなあ。。

これを書きながら見ているCNNニュースは、普通に理解できるんだけどなあ。。。。
やはり、英語に限らず、語学は奥が深い。

2009年2月22日日曜日

官僚賛歌!

たった今、見ていたテレビ朝日の番組で、石原慎太郎が、官僚批判をしておりました。
官僚を小馬鹿にするのが、世の中のトレンドとなっており、私も長い間、その空気に
乗って、官僚(特に中央官僚)を蔑んでおりました。
ただ、最近、佐藤優や、原田武夫と言った元外務官僚の本や、高校時代の同級生で中央官僚になった人の本や、
ブログを読むに付け、「やはり凄い。頭が切れる。視野が広い。」と、その度に感動します。
官僚を批判する人から言わせれば、「上手い文章を書くのは、行動を起こさない官僚の特徴だ。口車に乗せられてはいけない。」みたいな事を言うが、
仮に、そうだとしても、あれだけ説得力のある文章を書く才能というのは、素直に賞賛に値すると思います。
(民間のどんな有名な学者も、あれほど、説得力のある文章は書けていない。)

悪意を持ってみれば、「官僚は心にも無いことを、単なるポーズで書いている。」だけなのかも知れない。
ただ、そうだとしても、国際ビジネスを、散々やってきた私から言わせれば、国際交渉でモノを言うのは、白々しい建前論と言う面も確かにある訳であり、
その意味で、「白々しい建前論を書く能力」や「巧みに責任転嫁できる論理を組み立てる才能」と言うものを侮ってはいけない(と思う)。

ビジネス界においても、最終的には、立派なレポートを書く人が、もっとも貴重な人材だし、評価もされる。
私もそういう口先の論理展開できる人を、ある意味、深く信頼している。
仮に、あまり体を使って動かず、周りから、「あいつは口だけだ!」と非難される様な人であろうとも、それを補って余りある貢献を、文章をきちんとまとめる事をできる人はしている。
そういう特殊な才能を、軽んじてはいけない(と思う)。(国内で仕事をしていると、あまり気が付かないと思いますが。。。)

つまり、説得力のある文章を書ける才能というのは、肉体労働の数千時間分にも匹敵する特殊な才能であり、そうした才能を持っている官僚というのは、やはり格別な人達だと思う。
そういう才能をもった人達しか、国際交渉はできない訳であり、我々は素直に、彼らを国家の財産として、認めるべきであると思う。
考えてみれば、一流大学を優秀な成績で卒業し、難しい国家試験までPassしている中央官僚の能力を、我々が、普通の物差しで計ってはいけない(と思う)。
こういう事を以前、仲間内で言った時に、「奴らは、学生時代にちょっと勉強熱心だっただけだろう。やる気になれば、誰だって、中央官僚位にはなれる。」と反論してきた先輩がいた。
確かにそうでしょう。
やる気にさえなれば、誰でも中央官僚になれるでしょう。
ただ、私を含めて普通の人は、遊びたい盛りの大学生時代に、「やる気」になれない。
この差は大きいと思う。

勉強に限らず、どんな事でも、「そんなのやれば、誰だってできるよ!」っていう人は沢山いるが、
「実際にやる事」と、「やれば出来ると思っている事」の間には、雲泥の差がある。
その意味で、あの若かりし学生時代に、しっかり自己統制して勉強した彼らは、やはり特殊な才能の持ち主だし、普通の人達ではない。
であるから、もっと官僚に敬意を払うべきだと思う。
くだらない官僚バッシングは止めるべきです。
彼らは、国家の財産です。

私の認識は、甘いのかなあ???

しかし、馬鹿らしい!



と言うのも、中川財務大臣の辞任がらみの話です。
要するに、最低限の自己管理も出来ない様な人が(単なるアル中だか、ドラックマニアだかは知らないが)、国際舞台で馬鹿をやって、辞任に追い込まれたと言う話でしょう。
それだけの話なのに、「ワインは口をつけるくらいしか飲んでいない。」とか、「事件直前の食事会に同席していたのは、誰々だ。」とか、「飲んだ薬は、腰痛の薬だ。」とか何とかカンとか。
どうだって、良いいんじゃないですかねえ。。。。
(ましてや、「頑張れ!日本一」と報道陣の前で、奥さんに励まされるのは、とても恥ずかしい。)

酒の席の失敗とか、馬鹿をやった失敗なんて、私もいくらでもあるけど、言い訳ほど見苦しいものは無い。素直に、謝罪し、身を引くしかない。
ましてや、「食事会に同席していたのは、誰々だ。」なんて事を、国会で大の大人が素面で議論しているなんて、あまりにも幼稚で、開いた口が塞がらない。
「中川は馬鹿で、自己管理も出来ない人間だから、その同席していた誰々君が、親が子供を叱るみたいに、中川を静止すべきであった!」ってことなの?????
なんか日本社会は、幼稚化していますね。。。。

この中川事件に関しては、昔の知り合い(現在、自民党の衆議院議員をやっている)が、ブログで必死に、同席者に責任転嫁をしようとしているので、そこでも結構、唖然としました。
コレです。→ http://ameblo.jp/kiharaseiji/entry-10210461784.html#cbox
自分の行動に対して、責任も取れないんじゃ、マニラで3日も生きていけないぜ。。。

2009年2月20日金曜日

忙しい。。。

月曜夜に、グアムから戻り、火曜日から会社に出社。
相変わらず、人間関係から派生する技術的な各種問題に忙殺されております。
昨夜は、気分転換に、退社後、キックのジムに行き、スパーリングを3R消化。
大して強くもない相手に、たったの3Rなのに、異常に疲れる。
年齢を感じます。。。。
週末に、グアムの写真と動画をアップします。

2009年2月13日金曜日

プライド論

久しぶりの早朝4時台の起床です。
今日から、3泊4日でグアムに妻と旅行に行ってきます。

本当に、久しぶり(多分、10年ぶり以上)で、仕事以外での海外渡航です。
また、東南アジアや南アジア、そして北東アジアばかりで仕事をしている私には、15年ぶりのアメリカ旅行でもあります。
一年前に、当時付き合っていた彼女(現在の妻、韓国人)に会うためにソウルに行った時も、ソウル仁川空港についた瞬間に、
会社のボスから電話が来て、「貴公子君、今、ソウルだったよね。悪いけど、ソウルのパートナー会社でNetwork障害が起きているから、
ちょっと見てきて!」と言われて、仕事になりましたから。(笑)
グアムには、パートナー会社も、取引先もないので、飛行機に乗ったら、僕の勝ちですね。(笑)
スキューバダイビングもしてくる予定なので、写真とか動画も後日アップしますね。請う御期待。

さて、少し気なる(厳しい)メールを頂いたので、自分の思考を整理する意味でも回答したいと思います。
曰く、「貴公子さんには、プライドはないのか?」との御指摘でした。
私のブログの一部の記事から、お感じになった感想との事でした。
質問に単純に答えるのなら、「プライドはないし、不必要に持ちたいとも思わない。」とご回答します。
どういうことかと言えば(少なくとも仕事においては)、私は目的至上主義です。
言い換えれば、目的(仕事の成果を出す為)を達成する為に必要と感じれば、何でもする覚悟はあります。
例えば、他の人に媚びる必要があるならば、平気で媚びるし、私が土下座する事で、仕事がうまく回るのなら、平気で土下座します。
そうした意味で、「意に反することはしない。」なんて公言する世間でよく言う「プライドの高い人間」では決してありません。
その一方で、仕事を回すために、ちょっとしたTrickが必要なら平気で使うし、他人(それが例え上司だろうと客先だろうと)をちょっと利用することで、
仕事上の目的が達成できるのなら、そういうこともします。
こっちの意味でも、変なプライドはない。
こういう姿勢でいるので、敵も多いと思います。(笑)
まあ、どんな組織においても、みんながみんな紳士ではダメで、こういうキャラも存在したほうが、組織のトップからしたら、都合が言いと勝手に思い込んでおります。
つまり、確信犯的に、プライドを捨てています。(笑)

ただ、軽く弁解させて貰えば、こうした姿勢は、仕事を遂行する時だけです。
また、仕事中でも、いつもそうなのではなく、「ここ一番の時」だけです。
(いつもじゃ、疲れちゃいますから。。。。)

私生活では、日本人として、一市民として、アマチュア格闘家として、英検1級保持者(笑)としてのそれなりのプライドは持っています。
では、グアムに行ってきます!

2009年2月12日木曜日

若者Xへ。IT系の仕事へのお誘い!!!


趣味でやっているキックボクシングのジムで、一緒に練習している20歳前半の若者から、就職に関し、ちょととした相談を受けました。
彼の興味や得意な分野が良く分からなかったので、就職というよりも、就職活動に関するアドバイスしか与えられず、申し訳なく思っております。
 
そんな風に思っていたら、同じ様な相談メールを、先程、若者Xから受信したので、「拳友への罪滅ぼし」の意味を兼ねて、私の現在の仕事である「IT系の仕事」に関し、アドバイスと言うか現状説明をしようと思います。
 
若者Xよ!
心して読め!(笑)
 
以下に、ITの仕事を分類し、列挙します。
取り合えず、現在、あなたの興味のある分野へと進み、その後、その分野のSpecialistとなるか、Generalistになるかを時間を掛けて、決めれば言いと思いまず。
では、始めます。
 
==========================================
若者X へ
 
本論に入る前に、IT系の仕事の全体像を私の偏った経験から、説明します。
私は、某大企業で、Computer Network Security担当の中間管理職をしております。
必要に応じ、海外の拠点にもどんどん行き、そこで、現地ベンダーから機器購入をし、電源確保をし、現地回線業者とWAN構築のアレンジをし(英語で)、
最終的には、LAN構築とサーバー設定までをします。(基本的に一人でやります。)
 
と、如何にも何でも出来るみたいに偉そうに書きましたが、実はよく分かってないです。(笑)
私に限った話でないと思いますが、一般にITと一口で括られる「IT系の仕事」は、非常に多岐に渡るの
で、どんな頭の切れる奴でも、「専門分野以外は良く分からない。」と言う状態に陥ります。
私の専門は、LAN構築です。
ですから、FirewallやRouter設定と言った基幹Network構築と、サーバー構築のプロという事に、一応はなりますが、この分野は、技術進歩が早すぎて、どんどん範囲が拡大し進化していくので、日々、驚くことばかりです。正直、キャッチアップできていません。(笑)
(因みに、SIベンダーの営業マンが、「新製品が出たので、挨拶がてら会社に御紹介に上がります。」なんて電話がくると、ウキウキします。
と言うのも、日進月歩のITの世界では、新製品の話は常に驚きの連続で、営業マンの話は、とても勉強になるからです。)
 
IT系と一括りにされる中で、Network Security含む他分野と言えば、多分、以下でしょう。
(人によって、IT分野の分類法は変わりますし、なにせ日進月歩の世界なので、「新しい概念がどんどん増えてくる。」と言う意味で、「多分、以下の分類」と言う表現にしたいと思います。

1) 電源管理
この分野は、私独自の定義です。
普通のITエンジニアは、一般的に、既に電源が確保されたサーバールームで仕事をするので、あまり気を使うことは無いのですが、
私の様に、一日に何度も停電が起きる途上国の大都市や、砂漠の真ん中で、Network構築をする人には、電源の確保と管理はとても重要です。
一般には、電気の分野とされている。

私見 : 技術的難易度 : 電気工学自体は、とても難しいのでしょうが、ITに関わる範囲では、中低。

2) サーバー/PC Hardware
MemoryやCPU、チップの概念、RAID概念を正しく理解し、BIOSモードでの各種設定が出来て、KVMスイッチ等を適切に設定できて、一人前。
言い換えれば、自作PCを構築できるレベル。途上国の田舎で、サーバー構築をする際には、DellとかHPとかの完成品なんて手に
入れるのが困難な時もあるので、自作PCを構築できる能力は、海外で働く私の様なエンジニアには必須。
ITを仕事にする人には、「こんなの出来て当然!」と思っていたのですが、怪しい人が結構いる。
私見 : 技術的難易度 : 中。

3) LANケーブリング構築
ITエンジニアの中にも、ケーブル構築や管理を軽んずる人はいるが、一般のユーザーは、この仕事の重
要性と意外な難しさを、全然、理解できていない。
私も、海外のクライアント企業のLANを構築する際、「ケーブリングなんて、ケーブル引っ張るだけだろう。馬鹿でも出来る。何で、お前はそんな大騒ぎをしているんだ!」と
何度も怒鳴られた経験があります。
では、「そこそこのSI(システムインテグレーター)に依頼すれば安心か?」と言うと、そう単純でもない。
海外である有名SIにケーブリングを頼んだ際に、そのSIが、1フロア-全体にケーブルを張り終えた後、
このSIの仕事が全然ダメ(Networkが障害が起きる程の雑なケーブリングをされた)な
事に私自身が気が付き、土日に一人でフロア全体のケーブルを、貼り替えたこともありました。(涙)
侮れないJOBできちんとした管理が必要な割に、いつも軽んじられる分野だが、本当のプロは、このJOB
の重要性をよく理解しているので、本物のケーブリング専門業者は、プロのIT技術者の間でも、頼りにされる存在である。
私見 : 技術的難易度は中低。しかし、高い管理能力が合わせて必要。

4) LAN構築
私の専門分野。Firewall機器設定管理、ルーター機器設定管理、Proxy Server等の構築設定を含むインターネットSecurity、
またメールサーバー構築等も含むメールSecurityを含む。
最近は、従来のFirewallの上位概念である、アプリケーションFirewall等のより高位概念も出てきている。
プロトコル概念とか、IPアドレス、コンピューターウイルス、バックアップシステムに関しての体系的な勉強も必要で、カバーする範囲は膨大。
また、UPS機器を一元的に管理する事も重要。(←ここは正に、Networkエンジニアの職掌だと私は信じます。
ただ、残念ながらITエンジニアの中では、なぜか軽んじられています。)
私も、このLAN構築分野を専門に6~7年の経験があるが、未だ分からない事が多い。
有名SIベンダーのエンジニアでも、「ある特定の製品に関しては知識はとても深いが、実は基礎理論を押さえていない。」と言う人が意外に多い。
従って、ベンダー依存は危険で、私も、以前は、手抜きしてベンダーに丸投げしたが、結果としてNetwork障害が起きて、痛い思いをした事がある。
従って、最近は、基本的にSIベンダーには仕事を依頼しないで、自分で設定構築管理をするようにし、どうしても、自分でうまく設定できない時に、
問題点を絞った上で、そのエリアの専門家にHelpを求めるようにしております。
 
私見 : 技術的難易度 : 超高。
 
5)WAN構築管理
LANが社内Networkなのに対し、この分野は、Internetへのアクセスラインや、Internetそのものを管理構築する分野。
日本では、NTTやKDDIと言う一般に回線業者と言われる会社、全世界的には、かの有名なAkamai Companyがこの道のプロ中のプロ。
基本的に、国際Network網の構築が主業務となるので、海外の同業者(回線業者)との交渉力(英語力を含む)が必要。
ただ、LAN構築に比べれば、範囲は狭い。(専門用語で、Layerが低い。)
 
私見 : 技術的難易度 : 本当は、超超高だが、現実は、高くらい。
本当は、レベル的には「超超高」だが、NTTとかでも、こうしたレベルのスタッフはごく一握り。
つまり、ごくごく少数の天才的な人が、全世界のInternetをManageしている。
こうしたスーパーエリート以外は、LAN管理者ほどの知識は要らない。
(専門用語で、「WAN構築は低Layerの仕事。」と言う。)
 
6)データベース管理システム(DBMS)構築系
Oracleサーバー等のDBMSのプロとして、高い評価を世間で受けている。
理論書を読んで理屈を押さえる事が重要な分野。(と思う。)
理屈を押さえずに、コマンドだけ暗記している応用の利かないデータベースエンジニアが意外に多い。
理屈は、ロジカルでとても知的に面白いので、論理的な思考ができる人なら向いているかも。
 
私見 : 技術的難易度 : 超高。
本物は高いレベルであるが、なんちゃってエンジニアが多かったりもする。
 
7) プログラミング開発系
最近、各種開発環境がリリースされてきており、プログラミング開発が身近になりつつある。
私は、趣味でJavaプログラミングをしているアマチュアレベルだが、技術的にLAN構築やDBMS程、難しいとは思わない。
どれか一つの言語を、3ヶ月位で一通り学べば、他の言語にも応用が利くし、プログラマーとして、末端レベルの仕事もできるようになる。

私見 : 技術的難易度 : 中。
この分野こそ、一般の人が、「プログラミングなんて難しい。私には無理!」と誤った先入観を持ってしまう分野。
ただ、銀行員的なきめ細かい検査能力が必要。
(最近、開成高校の2年生が、5つのプログラミング言語を5ヶ月でマスターしたと話題になった。)
 
8)IP電話系
長くなるので、後日。
============================================
という訳で、ITの仕事について一応書いたので、1)から8)までで、興味ある所を選びましょう!(笑)

2009年2月11日水曜日

価格.com

今日、デジタルビデオカメラを、近くの量販店で購入しました。

購入機種は、Victor GZ-MG330

勿論、購入前に、価格コムで値段チェックをしました。
(コレ→ http://kakaku.com/ )
驚いた事に、価格コムで、紹介されていた最安値より、コジマ電気の方が安かった。
びっくりです。

これから、動画もどんどん、本サイトにアップします!!!

2009年2月10日火曜日

拓銀破綻の根本原因 Vol.4 (最終回)

この件に関し、書き連ねるのは、結構、エネルギーが要ります。
と言うのも、基本的に、私も当事者の一人なので客観的に分析するのが難しい上に、破綻した元会社の悪口を結果として書いている様な気がして、罪悪感に駆られるからです。

しかし、そう言いつつも、国際ビジネスマンとして、冷静に分析する義務の様なモノも感じます。
兎に角、このトピックはこれが最後です。
剛速球で行きましょう!

「こまやかなお付き合い。」←これが拓銀の会社としての標語でした。
私が3年間勤務した道内地方都市の支店では、愚直に、この標語を実践していたと思います。
例えば、たった一組の高齢者夫婦の数千円の集金の為に、、車で片道30分も掛けて訪問した事も、何度もあります。
また、私はその支店勤務の2年目には、その支店で「住宅ローンのエキスパート」と呼ばれ、その後の2年間で100件近くの住宅ローンを実行しましたが、そのローンの実行金額は、
ほとんどが1千万に満たないものでした。東京の水準で考えれば、マンションの頭金にもならない取るに足らない金額(失礼をお許し下さい!)ですが、
こうした小さいローン実行の為には、地場の信金と競合してでも取りました。
そして、前回書いた様な、それ以外の預金集め等の仕事にも、自分なりに全力を尽くしました。
兎に角、馬車馬の様に、必死になって働きました。

入社3年目の一時期、残業時間が200時間を越える月が、3ヶ月位続きましたが、それでも誰一人と文句も言わず、休みもせず、黙々と働いていました。
後になって聞いた事ですが、この支店で当時一番、お客さんから預金を集め、各種の表彰を受けていた数年上の先輩は、個人のお客さん(この街は高齢者がとても多かったが)を訪問する際に、米とか肉とかを自腹で「お土産」として持っていて、土下座しながら、預金をとっていたとの事でした。

このように、私も含め、この支店では全員が全員、上意下達の体育会系の雰囲気の中、何かに怯えるように、必死に働いておりました。
こうした「激務」は青春のいい思い出ではありますが、残念ながら、「企業価値を高める」と言う意味を持ちえなかった。
と言うのも、「こまやかなお付き合い」の標語が一人歩きをし始めて、支店の上層部も含め、誰も制御できなくなってしまったからです。

例えば、こんな事がありました。
ある時、酔っ払った中年のおじさんが、融資の私の窓口に来て、「複数のサラ金から借りているカネを
一括返済したいから、俺に融資しろ!」と言ってきました。
私は、「申し訳ないが、そういうローンはないので、当行では無理です。」と答え、お引取りを願いました。
ただそれだけの話ですが、この事で、支店の先輩と上司から散々、罵倒されました。
曰く、「あのおじさんだって、10年後には資産家になっている可能性が無くはない。そう考えれば、もっと親身になって、事情を聞いて上げるべきだ。
それが、『こまやかなお付き合い』の趣旨だ。」とか何とか。。。

つまり、拓銀は、ある意味いい人すぎた。そして、市場経済を無視し過ぎた。
資本主義的に言えば、資産のある客や地域の優良な会社のケアに全力を尽くすべきなのに、「こまやかなお付き合い」を唱えすぎて、
最後は、地場の信金でもやらない様な、超リテールと言うか採算度外視のボランティアの様な営業に傾斜していった。

上の描写がピンとこないのならば、高級ホテルを例に、考えてみればいいと思います。
5つ星のホテルには、従業員にも、それなりの余裕が必要です。
そうした余裕が、プレミアムな客を引き寄せえることにも結果として繋がるからです。
しかし、その4つ星とか5つ星の余裕が全くなく、常に何かに追い立てられるように、馬車馬の様に、利益を全く生まない超リテール業務に傾斜して行きました。

本来、地域のLeading Bankとしてのブランドを確立すべきであったのに、「こまやかなお付き合い」の標語の元に、
社員を馬車馬の様に働かせ、思考する能力を奪い去り、ロボットへと改造した。
粗野で喚き散らすだけのヒステリックな上司とか、ひたすら「お客様の為に!」と唱え続けている感傷的な上司先輩が支店内に蔓延していた。
そして、ビジネスマンとして普通に持つべき判断力や思考力をもった人物が、決定的に不足していた。
ひたすら、皆が皆、ビジネスマンとしては未熟であったと思うし、人間として「幼稚」であった。
「大人としての余裕」が誰にもなく、ただ、狂ったように、支店長や本部に、屈服し服従していた。
プロフェッショナルとしての自覚が、全員に欠けていた。

今になって思えば、拓銀は、「こまやかなお付き合い」を唱えるのではなく、北海道のスーパーリージョナルバンクとしてのブランドを確立し、
北海道内のハイエンドなクライアントのみに特化すべきであったと思います。
同時に、「こまやかなお付き合い」と言う一見、「美しく、誰も否定できない響きをもつ言葉」の中に潜む魔性の洗脳力に我々は気づくべきだったし、
その「狂った標語」にNOと言うべきだったと思います。

最後に、拓銀に合掌します。
このブログをもって、私個人の中で、何かが整理できました。
今後は、国際ビジネスマンとして、前向きなネタを書きたいと思います。

2009年2月8日日曜日

韓国語習得に燃えています。

実は、一年前から、韓国語の習得に燃えています。
とは言っても、ある程度、負荷を掛けて勉強し始めたのは、半年位前からですが。。。

去年まで、上海に2年間程住んでいたこともあり、中国語も日常会話程度はできますが(だいぶ忘れてしまいましたが)、私にとっては、中国語と比較して韓国語は難しいですね。
「よく日本人にとって、韓国語は簡単な筈だ。」と言われますが、そうは思わないですね。
私の周りの韓国語学習者も「韓国語は難しい。」と言うので、多分、これが真なのでしょう。

因みに、私の妻は韓国人ですが、韓国人にとって、日本語は簡単な様です。
日本にしばらく住んでいる韓国人は、みんな日本語べらべらですし。。。。
私の妻も、日本に来てから一年も経っていないのに、日本の企業に勤め、日本語で同僚とべらべらやっております。
ただ、韓国人にとって、中国語はとても難しい様ですね。
(少なくとも私の周りには、中国語を話せる韓国人は、上海勤務時代にもいませんでしから。)

まあ、こう考えると、各国人ごとに、得意不得意な外国語がある様で、何か面白いですね。
因みに、中国人にとっては日本語も韓国語も難しいみたいですが、英語は簡単に感じるようですね。。。
と話がそれましたが、日本人にとっての韓国語は、兎に角、入り口のハングル文字が難しくて、ここで嫌になるのでしょう。
私も、何度もここで挫折しそうになりましたが、半年以上を掛けて、ハングル文字を自由に読み書きできるようになりました。ここが多分、韓国語の第一関門なのでしょうね。
最近は、文法書を買い込んで文法を学んでいますが、ここは、英語の様な難しさは無い様な気がします。(多分。。。)

今の学習環境は、朝、出社前に、1時間の勉強(CDを聞く、テキストを読む)、夜NHKの韓国語講座で復習と合わせて30分の学習。また、韓国ドラマを一日一時間は見るようにしております。
兎に角、年末までに、「普通に会話できるレベル」にまで持っていける様に頑張ります!

内定取消された若者へ。

今日、自宅(東京近郊の中規模都市)近くのスーパーを歩いていたら、北海道展がやっており、北海道の食品業者が複数出展し、主に海産物の販売をしておりました。
何気なく、覗いていたら、その中に小樽市の食品業者も出展しておりました。
その業者さんは、私が拓銀小樽支店にいる時の取引先でした。
そこで、「いやあ。僕は12、3年前に、拓銀小樽支店で3年間働いていたんですよ。」と店の人に話し掛けて、5分程度ですが、拓銀に関しての昔話をしました。
業者の方も、小樽からこの展示会に来ており、小樽の話題に関して、話が弾みました。
50歳過ぎの年配の方でしたが、楽しく話ができました。

ただ、私が元拓銀の社員だと言う事で、「大変だったでしょう!苦労したでしょう!」みたいな事を何度もおっしゃっていましたが、この件に関してだけは、私は、笑みを浮かべて頷くだけでした。
実は、その辺の事に関しては、内心、私は以下の様に考えています。
「その後の人生において、苦労もしなかったし、大変でもなかった。」
むしろ、「拓銀破綻により、いい意味で捨て身になれて、その後のフィリピンマニラ4年の生活を含むExcitingな人生が送る事ができたので、むしろ拓銀破綻には感謝している。」と。

確かに、拓銀が破綻しなかったら、その後の6回の転職も無かったでしょう。
その意味で、「人生の予定が少々、狂った」とは言えますが、それ以上でも、それ以下でもありません。
新卒で拓銀に入社した時は、何も知らない『お坊ちゃま』だったが、拓銀破綻をきっかけに、世間の現実を知り、「失うものは何もない。」とまで、当時の私が奮い立ったのも事実です。
フィリピンマニラでの4年間も、拓銀破綻があったからこそ、存在しえた話であります。

目下の不況で、内定取り消しや企業倒産で途方にくれている若者も多いでしょうが、一つだけ偉そうに言わしてもらえば、「発生している現象に対し、それをどう解釈分析し、どのようなアクションをとるかは、その人の教養であり、知性であり、エネルギーレベルであり、行動力である。」と言いたい。
内定取消されたから、就職活動失敗したから、「私の人生は終わった。」と若者が言うのは、あまりにも芸がないと思いますよ。

2009年2月7日土曜日

拓銀破綻の根本原因 Vol.3

誤解無い様に断っておきたいのですが、私は、基本的に、拓銀には今でも感謝しております。
「大学卒業したばかりの若造で、何の実績もない癖に、異常に生意気であった私」に対して、名刺の渡し方、挨拶の仕方から教えてくれたのですから。
こうした基本教育は、あの当時は、「馬鹿らしい!」と思っていましたが、今となっては、その後のビジネスマン生活に、非常に役に立っていると思います。
まあ、少なくとも最初の1年間は、まったく戦力になっていなかったどころか、支店の先輩の足ばかりを引っ張っていたと思います。
そんな私を、根気良く教育してくれた先輩方には、深謝しております。

と一応、断った上で、拓銀破綻の原因追求を続けたいと思います。
最初に配属された道内地方都市の支店で、入社3年目に体験した市場原理を無視した「馬鹿らしい話」について説明したいと思います。
(既に破綻した会社ですが、旧社員の私には今でも道義的な意味で、守秘義務があると考えるので、ある程度、ぼかして記載をします。御理解いただきたく。)

流動性預金の一種である「貯蓄預金」の口座獲得キャンぺーンというのが、拓銀全支店を挙げて展開されました。
普通預金の様に、出し入れは自由、それでいて金利は高い。ただし、残高10万円以上と言う縛りのある商品です。
もちろん、流動性危機(つまり資金繰り悪化)に悩む当時の拓銀にとっては、貯蓄預金に限らず、預金残高を増やす事は、至上命題でしたから、
このキャンペーン自体は、意味のあるものです。
こうして、私の支店も、口座獲得に邁進しました。
ある程度、大きな支店であった私の支店は、順調に口座数を伸ばしていきました。

キャンペーン期間の途中からは、札幌市内の大きな支店と、獲得口座数で、上位を争うレベルにまで、達しました。
その時、支店の上層部は、何をトチ狂ったのか、「全支店内で必ず一番になれ。」と指示を出しました。
しかし、人口が10万人超の我が地方都市では、もちろん限界があります。
しかしながら、この狂った指示を受け、上意下達の意識の強い、支店の中間管理職以下は、またもや何も考えないロボットへと化しました。

というのも、キャンペーンの最初の頃は、入金10万円以上で、「正しく口座獲得」をしていたのに、
この指示(命令)が出てから、「初期入金千円でもいいから、口座を作れ。」になり、その次には、禁じ手のゼロ新規、
つまり「入金ゼロでもいいから、口座数を増やせ!」になりました。
そして最後には、支店の職員全員に対し、「おまえ達の親戚全員の名義で、口座を作れ!」になりました。
実際、私も東京に住んでいる親や親戚の名義で、口座を作りまくりました。
(それも一人の親戚名義で、2口座とか、3口座を。)
確か、私だけで20口座位は、親戚名義で作ったと思います。

こうした「営業努力」により、ウチの支店は、札幌市内の複数の大店を抑えて、トップになりました。

そして、営業努力賞として、本部から役員が来てPartyが始まり、記念品が贈呈されました。
その横では、わが支店長が、ぺこぺこしながらも、満面の笑みを浮かべていました。
支店のある中堅職員は、そのPartyで、もっとも口座獲得に功労があったと持ち上げられ、スピーチをしました。
曰く、「トップに立つのを諦めそうになった時もあったけど、頑張って良かったです。。。。」と中学生でも言わないようなコメントを発しました。
そして、支店職員全員で拍手と乾杯。

しかし、こうした作業が、いかに無意味で馬鹿な事か説明するまでも無いでしょう。
あの当時、口座を一口座作ると、銀行全体では、口座維持の為の潜在的な費用として、
年間1000円以上が銀行内部の事務処理でかかると言われておりました。
今でも同じな筈です。
ですから、一部の外資系の銀行等は、年間残高平均が30万円以上でないと、口座維持手数料で、年間、数千円を徴収するという事をやっております。
「経費を掛けて、Human Resourceを割いて、利益の全くでない幽霊口座を作りまくる。」事に何の意味があるのか?
どうして、支店幹部や中間管理職は、こうした馬鹿な行動を止められかかったのか?
そして、本部の役員こそ、この手の「点数稼ぎ」を強く静止すべきなのに、Partyで酒を飲んで、ふんぞり返っている。
そして、我々、一般スタッフは一般スタッフで、なぜ、何の疑問も持たず、ただ指示には従っているのか?
なぜ、全員が全員、思考停止状態に陥ったのか?

この事象が象徴する拓銀行風の問題点はたくさんあると思います。

つづく。