実際に、合格してみると、感慨深いですね。
数点差で、落ち続けているときは、「どうせ、暇つぶしで受けているだけだし。」とか言って、自分を納得させていましたが、やっぱり、
ひとつのけじめとして、合格したかったですね。
私は英語の専門家でもなんでも無いので、英検1級やTOEICに関しても、
いわゆる対策勉強は、やった事がありません。英語を使うのは、仕事でメールのやり取りをする位です。
家では、CNNやBBCを朝夜に見る位はしていますが、いわゆる問題集を買って、「お勉強する」と言うやり方はしてません。
それでも、たまにどこかの海外の空港で、TimeとかNewsweekを買って、面白そうな記事を読む位の事は、英語力を少しでも高める為にも、今までもやっておりました。
思えば、中学1年から、高校受験や大学受験を通じて、かなり徹底的に勉強をし、社会人になってからも、上述の感じで、コツコツとやっておりました。その意味で、今まで何万時間と英語を勉強してきたので、そうした集約と
して、英検1級を取れたという事は、「青春時代、ビジネスマン時代の一つの証明」として、素直にうれしいですねえ。
まあ、仕事とも無関係どころか、「ある程度の強い関連性」はあるので、
ITビジネスマンとしての、キャリアアップにも多少は、役に立つと思っております。
愛酒「八海山」で、一人ささやかに祝う著者。
↓ ↓ ↓
2008年3月12日水曜日
2008年2月28日木曜日
TOEICと英検と大学入試英語の比較。(実証データ)
さてと、最近、ブログに対する反応が無いので、「検索受けするトピック」に関し、お話をします。
2/24(日)に、英検1級の2次試験を受けてきました。
1級一次試験は、2008年1月に受験し、ぎりぎりで合格しました。
(113点満点で、78点が合格点でした。私は、正に78点でした。)
はっきり言って、英検1級2次は確かに難しいけど、ちょっとマニアック過ぎる様な気がします。
まあ、ここまで来たので、やっぱり2次にも受かりたいですがね。。。。(現在、結果待ち)
因みに、現在は東京にある日本企業勤務で、英語はメールの遣り取りで使うくらい。
もっとも、海外出張が多い部署なので、行けば当然、英語World。
それと、英語圏でのビジネス経験は、そこそこと自負しております。(比国4年、上海2年)。
あと、仕事がそこそこ忙しいので、TOEICにせよ、英検にせよ、所謂、対策勉強はした事がありません。
せいぜい、試験前日に過去問に、ちょっと目を通す位です。
英字新聞(Japan Times)は、たまに買って通勤の電車で読む程度ですが、CNNとかBBCは、家ではよく見ています。
まあ、こんな感じです。
以下は、私の英語遍歴です。
TOEICと英検の関係に関しての、「実証データ」でもあるので、英語をこれから勉強される方は、参考にしてみてください。
私の英語力は、普通の日本人がそうである様に、大学入試英語が基本です。
因みに、大学は慶応経済で、1991年に一浪の末に入りました。
当時の慶応経済は、少なくとも入試英語は日本一難しいと言われていました。
浪人時代は代ゼミに行ってましたが、その頃、受験していた公開模試の英語の偏差値は、
いつも75を超えていました。(代ゼミ全国模試でです。駿台全国模試では、65程度だったと記憶。)
ですから、受験英語レベルでは、「結構頑張った」と言えるのでは?と思います。
(浪人時に受けた当時の大学入試共通一次試験は、200点満点で190点位でした。)
勿論、大学入学後はみんながそうである様に、英語は全く勉強せず、そのまま社会人になりました。
社会人2年目の24歳で、暇つぶしで英語勉強を再開という感じです。
社会人のスタートは、北海道拓殖銀行小樽支店(23歳)で、仕事では全く英語は使用しない環境でした。
以下は、TOEICの成績変遷です。
- 1995年1月 初めてのTOEICを25歳で受験。565点。殆ど全く試験対策をせず受験した。
試験直後は、「全然、出来なかった。分からなかった。特にHearingが難しい。」と痛感したが、点数が
そこそこいったので、気分が良かったと記憶。
- 1995年5月 630点
- 1995年9月 610点
このころは、妙に英語に燃えてました。
毎朝5時に起きて、会社に行く前に2時間勉強してました。
使っていた教材は、アルクの 「1000時間ヒヤリングマラソン」
- 1996年1月 720点
初めて700点を超えて、妙に感動した記憶あり。
- 1996年5月 755点
- 1996年6月 英検1級を初めて受験。
手も足も出なかったと記憶。点数は殆ど0点だった記憶があります。
(適当にマークした。4択だったので、20%位は確率で取れたかも知れませんが。)
- 1996年9月 770点
- 1997年1月 835 点
目標だった800点をクリアして、涙が出るほど、嬉しかったと記憶。
- 1998年1月
勤務していた北海道拓殖銀行倒産の為、退職。
- 1998年3月
某中堅通信機器メーカー国際営業部に勤務開始。英語を日常的に使う職場で、英語力の向上に努める。
- 1998年11月 840点
この後、しばらく800点台が続き、900点の壁の高さを痛感。
- 2001年1月 920 点 (でも、これは、絶対にまぐれ。)
初めて900点を突破。
大きな達成感を得るも、海外のドラマは勿論、分かり易いはずのCNNも見ても、十分に理解できない状態。
海外で働かないと英語力は付かないと痛感する。
- 2001年4月
フィリピンマニラでのフリーター生活開始。(月給3万円)
- 2004年6月 (フィリピンマニラ郊外の日系企業勤務中の時期。)
英検準1級の受験を会社から推奨され、1級とダブル受験。
準1の問題は、妙に簡単に感じた。(確か100点満点で91点を取得。)
1級は、相変わらず難しかった。(2点差で、一次試験を落ちる。)
- 2005年1月
東京にある大手建設会社にITエンジ二アとして転職。
採用では、ITの知識経験と同様に、TOEICのスコアも高く評価され、「勉強していて良かった!」と実感。涙ぐむ。
- 2005年8月 TOEIC 925点
会社内の社内TOEICを暇つぶしに受験。 4年ぶりのTOEIC受験。
新入社員40人と、私の様な自発的受験者の合計80名強の中で、トップになった。
妙な充実感を得る。
この時、TOEICの問題が妙に簡単に感じた。
2001年にも、920点をマークしたが、あの時は、「簡単」との印象は無かった。
少しは英語力が伸びたと感動!
- 2006年1月
久々の英検1級受験 (一次を3点差で敗退)
こらから、3回連続で受験。1点差から7点差の範囲で、一次敗退を続ける。
やはり、1級は異常に、難しいと感じた。
- 2007年 ほとんどずっと上海勤務。物理的に英検は受験できず。
- 2008 年1月 久しぶりの英検1級受験。ぎりぎり1次パス。(前述)
(113点満点で、78点が合格点でした。私は、正に78点でした。)
点数こそ、ぎりぎりでしたが、大きな変化がありました。
それは、1級のHearingが簡単に感じられた事。Hearing部分の得点率は、実際8割を超えており、
今まで、Hearingで足を引っ張られていた自分にとっては、大きな進歩だった。
また、実感したのは、英検の試験の精度の高さ。
つまり、2007年にオーストラリア人の顧客と上海で一緒に働いており、おかげで
英語力が伸びたと実感していた時期に受けた英検で、かつてどうしても破れなかった
数点差をやっと破った訳であり、「英検の精度って凄い」と心底思った。
まあ、こんな感じです。
まあ端的に言って、英検1級とTOEICは問題の質が全く違います。
TOEICは、要するに「アメリカで外国人が普通の生活するのに必要な英語力を測るテスト」です。従って、問題も読解問題ならば、
「水族館の入り口に貼ってある看板を見て、入館料を計算する」みたいな単純なものです。
一方で、英検1級の読解問題は、「膨大な量のNew York Timesの社説みたいな問題文を読んで、精確に読解する」みたいな複雑なものです。
思うに、TOEICならば、その辺を歩いているアメリカ人が受験すれば、たぶん900点は軽く超えてくるでしょう。
一方で、英検1級の問題は、教養のあるアメリカ人でも、そう簡単ではないと思います。
別の例えでは、英検1級の問題は、言ってみれば東大の入試問題で、TOEICは3流大学の入試問題みたいなもんです。
3流大学の入試問題で、8割、9割を得点しても、東大の問題には手も足も出ないと言うのが、正に英検1級とTOEICの関係かと思います。
実際、TOEICを満点近く取っている人でも、英検1級は落ち続けるという人は沢山いますしね。。。
まあ、今日はとりとめも無くなったので、この辺で止めます。
では、また。。。
3/2追記 上みたいに書いたら、「あなたは東大の最近の英語入試問題を解いたのか?」との質問を、大学受験の浪人の若者から受けたので、
週末、家でコーヒーを片手に今年の英語入試問題を解いてみた。東大入試英語問題と英検1級を比較すれば、勿論、単語レベルや英文自体の
難易度は、1級の方が高いし、量も多い。東大の英作文も大したことはない。
(東大の入試英語には、分からない単語が一つも無かった。あと、Hearing問題は、音声ファイルが、少なくとも
読売新聞のWebサイトには公開されていなかったので、トライできなかったが、Hearing問題のレベルは、英検では2級かせいぜい準1級程度との
事らしい。)ただ、東大の方は、日本語要約の問題とかがあり、英語力と共に、日本語の能力が必要と感じた。
まあ、とは言っても、東大の入試問題は18とか19のガキには、十分難しいと思います。私も高校3年の時、東大模試を何回か受験したけど、
英語はあの当時、手も足も出なかったですから。。。。
2/24(日)に、英検1級の2次試験を受けてきました。
1級一次試験は、2008年1月に受験し、ぎりぎりで合格しました。
(113点満点で、78点が合格点でした。私は、正に78点でした。)
はっきり言って、英検1級2次は確かに難しいけど、ちょっとマニアック過ぎる様な気がします。
まあ、ここまで来たので、やっぱり2次にも受かりたいですがね。。。。(現在、結果待ち)
因みに、現在は東京にある日本企業勤務で、英語はメールの遣り取りで使うくらい。
もっとも、海外出張が多い部署なので、行けば当然、英語World。
それと、英語圏でのビジネス経験は、そこそこと自負しております。(比国4年、上海2年)。
あと、仕事がそこそこ忙しいので、TOEICにせよ、英検にせよ、所謂、対策勉強はした事がありません。
せいぜい、試験前日に過去問に、ちょっと目を通す位です。
英字新聞(Japan Times)は、たまに買って通勤の電車で読む程度ですが、CNNとかBBCは、家ではよく見ています。
まあ、こんな感じです。
以下は、私の英語遍歴です。
TOEICと英検の関係に関しての、「実証データ」でもあるので、英語をこれから勉強される方は、参考にしてみてください。
私の英語力は、普通の日本人がそうである様に、大学入試英語が基本です。
因みに、大学は慶応経済で、1991年に一浪の末に入りました。
当時の慶応経済は、少なくとも入試英語は日本一難しいと言われていました。
浪人時代は代ゼミに行ってましたが、その頃、受験していた公開模試の英語の偏差値は、
いつも75を超えていました。(代ゼミ全国模試でです。駿台全国模試では、65程度だったと記憶。)
ですから、受験英語レベルでは、「結構頑張った」と言えるのでは?と思います。
(浪人時に受けた当時の大学入試共通一次試験は、200点満点で190点位でした。)
勿論、大学入学後はみんながそうである様に、英語は全く勉強せず、そのまま社会人になりました。
社会人2年目の24歳で、暇つぶしで英語勉強を再開という感じです。
社会人のスタートは、北海道拓殖銀行小樽支店(23歳)で、仕事では全く英語は使用しない環境でした。
以下は、TOEICの成績変遷です。
- 1995年1月 初めてのTOEICを25歳で受験。565点。殆ど全く試験対策をせず受験した。
試験直後は、「全然、出来なかった。分からなかった。特にHearingが難しい。」と痛感したが、点数が
そこそこいったので、気分が良かったと記憶。
- 1995年5月 630点
- 1995年9月 610点
このころは、妙に英語に燃えてました。
毎朝5時に起きて、会社に行く前に2時間勉強してました。
使っていた教材は、アルクの 「1000時間ヒヤリングマラソン」
- 1996年1月 720点
初めて700点を超えて、妙に感動した記憶あり。
- 1996年5月 755点
- 1996年6月 英検1級を初めて受験。
手も足も出なかったと記憶。点数は殆ど0点だった記憶があります。
(適当にマークした。4択だったので、20%位は確率で取れたかも知れませんが。)
- 1996年9月 770点
- 1997年1月 835 点
目標だった800点をクリアして、涙が出るほど、嬉しかったと記憶。
- 1998年1月
勤務していた北海道拓殖銀行倒産の為、退職。
- 1998年3月
某中堅通信機器メーカー国際営業部に勤務開始。英語を日常的に使う職場で、英語力の向上に努める。
- 1998年11月 840点
この後、しばらく800点台が続き、900点の壁の高さを痛感。
- 2001年1月 920 点 (でも、これは、絶対にまぐれ。)
初めて900点を突破。
大きな達成感を得るも、海外のドラマは勿論、分かり易いはずのCNNも見ても、十分に理解できない状態。
海外で働かないと英語力は付かないと痛感する。
- 2001年4月
フィリピンマニラでのフリーター生活開始。(月給3万円)
- 2004年6月 (フィリピンマニラ郊外の日系企業勤務中の時期。)
英検準1級の受験を会社から推奨され、1級とダブル受験。
準1の問題は、妙に簡単に感じた。(確か100点満点で91点を取得。)
1級は、相変わらず難しかった。(2点差で、一次試験を落ちる。)
- 2005年1月
東京にある大手建設会社にITエンジ二アとして転職。
採用では、ITの知識経験と同様に、TOEICのスコアも高く評価され、「勉強していて良かった!」と実感。涙ぐむ。
- 2005年8月 TOEIC 925点
会社内の社内TOEICを暇つぶしに受験。 4年ぶりのTOEIC受験。
新入社員40人と、私の様な自発的受験者の合計80名強の中で、トップになった。
妙な充実感を得る。
この時、TOEICの問題が妙に簡単に感じた。
2001年にも、920点をマークしたが、あの時は、「簡単」との印象は無かった。
少しは英語力が伸びたと感動!
- 2006年1月
久々の英検1級受験 (一次を3点差で敗退)
こらから、3回連続で受験。1点差から7点差の範囲で、一次敗退を続ける。
やはり、1級は異常に、難しいと感じた。
- 2007年 ほとんどずっと上海勤務。物理的に英検は受験できず。
- 2008 年1月 久しぶりの英検1級受験。ぎりぎり1次パス。(前述)
(113点満点で、78点が合格点でした。私は、正に78点でした。)
点数こそ、ぎりぎりでしたが、大きな変化がありました。
それは、1級のHearingが簡単に感じられた事。Hearing部分の得点率は、実際8割を超えており、
今まで、Hearingで足を引っ張られていた自分にとっては、大きな進歩だった。
また、実感したのは、英検の試験の精度の高さ。
つまり、2007年にオーストラリア人の顧客と上海で一緒に働いており、おかげで
英語力が伸びたと実感していた時期に受けた英検で、かつてどうしても破れなかった
数点差をやっと破った訳であり、「英検の精度って凄い」と心底思った。
まあ、こんな感じです。
まあ端的に言って、英検1級とTOEICは問題の質が全く違います。
TOEICは、要するに「アメリカで外国人が普通の生活するのに必要な英語力を測るテスト」です。従って、問題も読解問題ならば、
「水族館の入り口に貼ってある看板を見て、入館料を計算する」みたいな単純なものです。
一方で、英検1級の読解問題は、「膨大な量のNew York Timesの社説みたいな問題文を読んで、精確に読解する」みたいな複雑なものです。
思うに、TOEICならば、その辺を歩いているアメリカ人が受験すれば、たぶん900点は軽く超えてくるでしょう。
一方で、英検1級の問題は、教養のあるアメリカ人でも、そう簡単ではないと思います。
別の例えでは、英検1級の問題は、言ってみれば東大の入試問題で、TOEICは3流大学の入試問題みたいなもんです。
3流大学の入試問題で、8割、9割を得点しても、東大の問題には手も足も出ないと言うのが、正に英検1級とTOEICの関係かと思います。
実際、TOEICを満点近く取っている人でも、英検1級は落ち続けるという人は沢山いますしね。。。
まあ、今日はとりとめも無くなったので、この辺で止めます。
では、また。。。
3/2追記 上みたいに書いたら、「あなたは東大の最近の英語入試問題を解いたのか?」との質問を、大学受験の浪人の若者から受けたので、
週末、家でコーヒーを片手に今年の英語入試問題を解いてみた。東大入試英語問題と英検1級を比較すれば、勿論、単語レベルや英文自体の
難易度は、1級の方が高いし、量も多い。東大の英作文も大したことはない。
(東大の入試英語には、分からない単語が一つも無かった。あと、Hearing問題は、音声ファイルが、少なくとも
読売新聞のWebサイトには公開されていなかったので、トライできなかったが、Hearing問題のレベルは、英検では2級かせいぜい準1級程度との
事らしい。)ただ、東大の方は、日本語要約の問題とかがあり、英語力と共に、日本語の能力が必要と感じた。
まあ、とは言っても、東大の入試問題は18とか19のガキには、十分難しいと思います。私も高校3年の時、東大模試を何回か受験したけど、
英語はあの当時、手も足も出なかったですから。。。。
ラベル:
英語(TOEIC、英検)
2008年2月6日水曜日
真のSI営業マンとは?
今日は、少し仕事の話を。
日本のSI(システムインテグレーター)営業は駄目ですね。
私も日本のSIでの法人営業をやった事もあるし、また、事業会社のIT Managerとして、
SI企業の営業マンを迎えた事も何度もあるので、事情は理解しているつもりです。
SIの法人営業マンは、概して驚くほど、IT技術に関する知識や経験がありません。
昨日まで、自動車の営業マンをやっていた様な人が、SIでのソリューション営業なんて出来る訳ないのですが、 そういう知識・経験がない営業マンが殆どです。
ひとつエピソードを。
2004年の秋、東京で転職活動をしました。
本当は、ITエンジニアで転職したかったのですが、「4年働いた比国から、東京に緊急に帰らないといけない。」 と言う私的な理由もあり、焦っていました。
従って、エンジニアを第一希望としながらも、経験もそれなりの実績もあるSI営業職でも、職を探しました。
34歳の時です。
ある東証2部上場の中堅SIでの面接の時です。(ここには、営業職で申し込みました。)
SI営業のあるべき姿に関して、意見を交換したときに、面接官数人いらついた感じで、
「営業マンは客と酒を飲んで、ゴルフしてればいいんだ!後は、技術者がやる。」と言い放ちました。
「何たる浅い見識。何たる怠慢。」と瞬間的に思い、その場で大喧嘩です。
私の経験では、SI営業と言うのは、非常に高度な能力が求められます。
営業としてのビジネス作法や、交渉力、強い精神力や会計に関する知識に加え、IT技術に関する広範な知識が必要です。
私の持論では、「ITエンジニアは、狭い分野に対するマニアックな知識が必要であり、SI営業マンには、『広い範囲にわたり、中程度の深さの知識』が必要」と強く信じております。
よって、「IT営業マンの技術知識総量は、ITエンジニアのそれよりも、結果的に遥かに多くなる」と信じております。
しかしながら(さっきも言いましたが)、この業界で長く仕事をして思うのですが、SI営業マンは、 本当に何も分かっていない人が多い。(特に大手SI)。
また、技術者は「特定の分野やソフトウェアや機器に特化しすぎて、Network全体を俯瞰する知識や技量がない。」と認識しております。
従って、私は現在、大手企業のITマネージャーをしておりますが、SIに頼らずに全部、自分で構築する様にしております。
どうしても、自分で処理できない所だけは、問題点を絞った上で、その分野の専門家をSIから派遣してもらう様にしております。
と言うのも、SI営業マンとは会話が成立しないし、SIの技術者は、広範な知識を持っていなので、 自分の専門とするごく限られた分野しか対応してくれないからです。
そもそも、これだけIT技術が複雑かつ高度になってくると、外部のSIにアウトソースするという事が、 実は逆に難しくなるのではないでしょうか?
というのも、仮に、優秀なSIエンジニアがいたとしても、そういう人は、どこの顧客からも引っ張りだこになり、 とても特定の顧客のNetworkだけを担当する事はできません。
(昔みたいに、ちょっと優秀なITエンジニアが片手間で、数社の顧客のNetworkを管理する事は、今の時代では不可能です。)
現在、事業会社のNetworkは、優秀なITエンジニア数名がつきっきりで、メンテしない限り運用できないという技術的なハードルの高さを考えると、一般の事業会社は、自前で優秀なエンジニアを雇うしかないのではないかと思います。
もっとも、見つけるのは、とても大変ですが。
とりとめがなくなったので、今日はここでやめます。次回は、「SI営業マンに求められる技術知識」に関してです。
日本のSI(システムインテグレーター)営業は駄目ですね。
私も日本のSIでの法人営業をやった事もあるし、また、事業会社のIT Managerとして、
SI企業の営業マンを迎えた事も何度もあるので、事情は理解しているつもりです。
SIの法人営業マンは、概して驚くほど、IT技術に関する知識や経験がありません。
昨日まで、自動車の営業マンをやっていた様な人が、SIでのソリューション営業なんて出来る訳ないのですが、 そういう知識・経験がない営業マンが殆どです。
ひとつエピソードを。
2004年の秋、東京で転職活動をしました。
本当は、ITエンジニアで転職したかったのですが、「4年働いた比国から、東京に緊急に帰らないといけない。」 と言う私的な理由もあり、焦っていました。
従って、エンジニアを第一希望としながらも、経験もそれなりの実績もあるSI営業職でも、職を探しました。
34歳の時です。
ある東証2部上場の中堅SIでの面接の時です。(ここには、営業職で申し込みました。)
SI営業のあるべき姿に関して、意見を交換したときに、面接官数人いらついた感じで、
「営業マンは客と酒を飲んで、ゴルフしてればいいんだ!後は、技術者がやる。」と言い放ちました。
「何たる浅い見識。何たる怠慢。」と瞬間的に思い、その場で大喧嘩です。
私の経験では、SI営業と言うのは、非常に高度な能力が求められます。
営業としてのビジネス作法や、交渉力、強い精神力や会計に関する知識に加え、IT技術に関する広範な知識が必要です。
私の持論では、「ITエンジニアは、狭い分野に対するマニアックな知識が必要であり、SI営業マンには、『広い範囲にわたり、中程度の深さの知識』が必要」と強く信じております。
よって、「IT営業マンの技術知識総量は、ITエンジニアのそれよりも、結果的に遥かに多くなる」と信じております。
しかしながら(さっきも言いましたが)、この業界で長く仕事をして思うのですが、SI営業マンは、 本当に何も分かっていない人が多い。(特に大手SI)。
また、技術者は「特定の分野やソフトウェアや機器に特化しすぎて、Network全体を俯瞰する知識や技量がない。」と認識しております。
従って、私は現在、大手企業のITマネージャーをしておりますが、SIに頼らずに全部、自分で構築する様にしております。
どうしても、自分で処理できない所だけは、問題点を絞った上で、その分野の専門家をSIから派遣してもらう様にしております。
と言うのも、SI営業マンとは会話が成立しないし、SIの技術者は、広範な知識を持っていなので、 自分の専門とするごく限られた分野しか対応してくれないからです。
そもそも、これだけIT技術が複雑かつ高度になってくると、外部のSIにアウトソースするという事が、 実は逆に難しくなるのではないでしょうか?
というのも、仮に、優秀なSIエンジニアがいたとしても、そういう人は、どこの顧客からも引っ張りだこになり、 とても特定の顧客のNetworkだけを担当する事はできません。
(昔みたいに、ちょっと優秀なITエンジニアが片手間で、数社の顧客のNetworkを管理する事は、今の時代では不可能です。)
現在、事業会社のNetworkは、優秀なITエンジニア数名がつきっきりで、メンテしない限り運用できないという技術的なハードルの高さを考えると、一般の事業会社は、自前で優秀なエンジニアを雇うしかないのではないかと思います。
もっとも、見つけるのは、とても大変ですが。
とりとめがなくなったので、今日はここでやめます。次回は、「SI営業マンに求められる技術知識」に関してです。
2008年2月3日日曜日
時代を動かすのは、いつもエネルギーレベルの高い奴。
下記は、アマゾンに去年(2007年)9月に私自身がアップした、田中森一氏著「反転」の読後レビューです。
========================================
佐藤優の「国家の罠」を読んで以来、検察組織に興味を持ったので、書店でなんとなく手に取ったのが、この本との出会いでした。
400ページ以上の本ですが、夜を徹して一気に読みました。
読み物としては、兎に角、面白いです。
佐藤氏の本が、知的好奇心に訴える面白さであるのに対し、「反転」は、魂に訴える面白さです。確かに、田中氏は世間一般で
言うところの「良識のある市民」ではないでしょう。しかしながら、本書は、全力で生き抜いた男の半生記として、善悪の概念を超越したレベルで読まれるべきと考えます。
異様なパワーを本全体から感じます。このパワーの幾ばくかが私の様な一般的なビジネスマンにも注入されれば、日本の官僚組織、会社組織は大いに活性化するでしょう。ところで、ここまで洗いざらい書いた田中氏の覚悟の程は、賞賛に値しますが、明らかに書き過ぎであり、
田中氏が「遺書としての意図を持って、この本を書いたのではない事」を願いたいと思います。次作にも大いに期待します。
========================================
他の人が書いた読後レビューを見ると、どうも、善悪の概念を盾に、著者に手厳しい意見が多いように思います。
「時代を動かすのは、いつもエネルギーレベルの高い奴。そして、エネルギーレベルの高い奴は、一般的な意味での良識人ではありえない。」と言うのが私のこだわりです。
小泉純一郎、プーチン元大統領、尊敬するビルクリントン元大統領、そしてビルゲイツ、こうした偉人は皆、一般的な意味での良識人ではない。
一般の会社レベルでも、良いも悪いもそれ以前に、エネルギーレベルの高い奴が組織を動かしております。
田中氏もワルなりに、検察組織をそして社会を動かした、その事が重要です。
みんながみんな朝日新聞的な優等生では、社会は動かないし、第一、退屈でしょう。
私は退屈な人間にだけはなりたくないといつも考えております。
もっとも、敵も多いですがね。(笑)
========================================
佐藤優の「国家の罠」を読んで以来、検察組織に興味を持ったので、書店でなんとなく手に取ったのが、この本との出会いでした。
400ページ以上の本ですが、夜を徹して一気に読みました。
読み物としては、兎に角、面白いです。
佐藤氏の本が、知的好奇心に訴える面白さであるのに対し、「反転」は、魂に訴える面白さです。確かに、田中氏は世間一般で
言うところの「良識のある市民」ではないでしょう。しかしながら、本書は、全力で生き抜いた男の半生記として、善悪の概念を超越したレベルで読まれるべきと考えます。
異様なパワーを本全体から感じます。このパワーの幾ばくかが私の様な一般的なビジネスマンにも注入されれば、日本の官僚組織、会社組織は大いに活性化するでしょう。ところで、ここまで洗いざらい書いた田中氏の覚悟の程は、賞賛に値しますが、明らかに書き過ぎであり、
田中氏が「遺書としての意図を持って、この本を書いたのではない事」を願いたいと思います。次作にも大いに期待します。
========================================
他の人が書いた読後レビューを見ると、どうも、善悪の概念を盾に、著者に手厳しい意見が多いように思います。
「時代を動かすのは、いつもエネルギーレベルの高い奴。そして、エネルギーレベルの高い奴は、一般的な意味での良識人ではありえない。」と言うのが私のこだわりです。
小泉純一郎、プーチン元大統領、尊敬するビルクリントン元大統領、そしてビルゲイツ、こうした偉人は皆、一般的な意味での良識人ではない。
一般の会社レベルでも、良いも悪いもそれ以前に、エネルギーレベルの高い奴が組織を動かしております。
田中氏もワルなりに、検察組織をそして社会を動かした、その事が重要です。
みんながみんな朝日新聞的な優等生では、社会は動かないし、第一、退屈でしょう。
私は退屈な人間にだけはなりたくないといつも考えております。
もっとも、敵も多いですがね。(笑)
ラベル:
書評&映画評論&分析
本当のマニラビジネスマン生活。。。
今日は、ちょっと気分がいいので、もう一本アップします。
午前中に行ったキックボクシングジムで、セミプロ相手に、久しぶりにスパーリングをやりました。
最近は、若くもないので(30台後半)、ジムに行っても、もっぱらサンドバックを蹴っ飛ばしている事が多いのですが、今日は思うところがあって、スパーをやり、コーチに「すっごくいいよ。」と
褒められました。と言う訳で、とても気分がいいのです。(大笑!)
午前中に行ったキックボクシングジムで、セミプロ相手に、久しぶりにスパーリングをやりました。
最近は、若くもないので(30台後半)、ジムに行っても、もっぱらサンドバックを蹴っ飛ばしている事が多いのですが、今日は思うところがあって、スパーをやり、コーチに「すっごくいいよ。」と
褒められました。と言う訳で、とても気分がいいのです。(大笑!)
本日、第2弾のテーマは、「本当のマニラビジネスマン生活」です。
日本人がマニラに住むと言う時は、日本企業からの駐在員として、あるいは、ダイビング等を
趣味にする人が、観光型長期滞在すると言う事が多いですね。
あるいは、現地の女性と結婚し、必要に迫られ、移住したいう方もいます。
日本人がマニラに住むと言う時は、日本企業からの駐在員として、あるいは、ダイビング等を
趣味にする人が、観光型長期滞在すると言う事が多いですね。
あるいは、現地の女性と結婚し、必要に迫られ、移住したいう方もいます。
その一方で、私が30歳の時にフィリピンマニラに行ったのは、もっと精神的なものでした。
当時、勤務していた東証一部上場IT機器メーカーや日本社会に心底幻滅したのが、きっかけです。
まあ、対外的な(表向きな)理由としては、「精神的かつ肉体的な限界を試したい。」と言うポジティブで単純なものでした。
結局、30歳からの4年弱を3社で過ごしました
(100%フィリピン企業、日比合弁企業、日系でも比系でも無い外資系企業)。
当時、勤務していた東証一部上場IT機器メーカーや日本社会に心底幻滅したのが、きっかけです。
まあ、対外的な(表向きな)理由としては、「精神的かつ肉体的な限界を試したい。」と言うポジティブで単純なものでした。
結局、30歳からの4年弱を3社で過ごしました
(100%フィリピン企業、日比合弁企業、日系でも比系でも無い外資系企業)。
と言う訳で、単身、マニラに行き、現地企業に履歴書を持って売り込む事から始めました。
当時でも、TOEICは900点を超えていたので、まあ意思疎通は何とか出来ました。
当時でも、TOEICは900点を超えていたので、まあ意思疎通は何とか出来ました。
比国での一社目(100%比国企業、1年3ヶ月勤務)では、月給は3万円でした。
勿論、家賃やVISA代や健康保険の補助は一切なしです。
20年位の歴史がある従業員200人程度の会社でしたが、日本人どころか外国人の採用は、
初めてと言う典型的なフィリピンIT企業でした。
(場所は、Makatiと言うビジネス街にありました。)
結局、ここには、1年3カ月勤務しました。
仕事は、IT機器とNetwork構築技術を売り込むと言ういわゆるSI(システムインテグレーター)の
セールスエンジニアです。
当時の私の技術力は、今と比べると数段低く、「よくあれでセールスエンジニアをやっていたなあ。」と感心するレベルでしたが、それでも顧客獲得の為に、月曜日から土曜日まで、朝から夜遅くまで、マニラやその近郊を、ジム二ーやトライシクルと言う現地の乗り物(駐在員は危険と言う理由で、乗車は禁止されています。)で、駆けずり回りました。
その後、縁があり日比合弁IT企業にセールスマネージャーとして、転職しました。
この会社もマニラにありました。給料は、月給8万円と一社目と比べて、3倍弱増と言う
セレブ(!?)な転職でした。ここには、10ヵ月勤務しました。
IT自体が本当に面白いと思い始めた時期なので、無我夢中になって懸命に仕事をしました。
ただ、日本の本社から派遣されているボスに当たる駐在員が、「たかが現地採用の癖に。」みたいな事を常に言うのが許せなかったのが原因で、
殆ど喧嘩退社でした。
殆ど喧嘩退社でした。
その後、マニラ郊外で、もう一社(それも現地採用)に勤務しました。
ここは、 日系でも比系でも無い外資系企業 で、今度はIT部門のマネージャーと言う肩書きを頂き、
とてつもなく大きなComputer Networkの管理を担当しました。
給料は、前職の月給8万円に比べれば、更に数倍良く、仕事も楽しかったので、
「ずっと勤務したい」と思ったのですが、ある時、あれだけ絶望した日本企業と
日本社会に深い愛着を感じる事が発生し、1年半の勤務後、日本に帰国しました。
日本に帰国し、今は大手日本企業に在籍して、国際ITエンジニアとして、
海外を飛び回る生活をしております。
海外を飛び回る生活をしております。
まあ、経歴はこんな感じです。
最近、よく現地採用志望の若者から相談を受けるのですが、私の結論は、以下の通りです。
「人それぞれ事情もあるでしょうが、止むを得ない事情を除き、途上国に行き現地採用スタッフになるのはお勧めできない。」と言うものです。
基本的に、「現地採用スタッフは、現地の人と同じ待遇がデフォルト」です。
従いまして、一社目のフィリピン企業の月給3万円は、他の日系企業に勤務する周りの日本人現地採用者と比べても、確かに低かったですが、2社目の日比合弁企業の現地採用時代(5年位前の話ですが)の月給8万円と言うのは、「まあまあの線」でした。比国で現地採用を4年弱しての結論は、「現地採用組の基本給料は、比国人スタッフと同じで(当然ですが。)、職種の専門性により多少の色が付く。」という事です。真に止むを得ない事情がない限り、途上国での現地採用は避けるべきです。本当に、甘くないですよ。変なロマンを持たない事です。
まあ、比国勤務に興味のある方はレス下さい。(出来るだけ、返事します16:32。)
比国の本当の姿は、それなりに分かっているつもりですので。
ラベル:
マニラの熱い夜
食品偽装問題を通じてみる日本人の特異性
最近、中国から輸入した食品に関して、日本国内で食中毒が発生し、それが外交問題へと
発展しそうな勢いです。私は、つい最近まで、2年弱程、上海に駐在しておりました。
滞在中は、中国語を一生懸命勉強したので、日常レベルの中国語は話せます。
仕事でも、中国人同僚とどっぷり仕事にはまっていたので(込み入った話は英語を使いましたが)、
まあ一般的な日本人に比べれば、中国通と言えると思います。
今回の食中毒事件発生後の両国メディアの対応は、相変わらず噛み合っていませんね。
中国メディアは概して、無関心。あるいは、「日本人は大騒ぎしすぎ。」と言う
反応と読み取りました。
こうした報道に、違和感や怒りを感じる日本人は多いと思いますが、
「日本人は大騒ぎしすぎ。」と言うのは、ある一面で正しいと思う。
ミートホープ事件、赤福事件、船場吉兆事件、および最近の古紙配合率偽装事件と、
日本人は細かい事を騒ぎ過ぎます。
私は現在、一人暮らしなので、平日は会社帰りの夜遅くに、近くの大手スーパーで弁当を夕食
として買う事が多いのですが、一連の食品偽装事件以来、このスーパーも神経質なった様で、
夜9時位に入ると「弁当がない。」と言う状況です。
一連の事件前までは、夜11時位にも、ふんだんに置いてありました。
つまり、どういう事かと言えば、事件前は「売れ残ったのは翌日になって、
日付を貼り替えて、販売していた」のでしょう。
一連の事件後、偽装発覚を恐れたこのスーパーは、「その日に確実に売れきれる分しか
製造しなくなった。」と言う事でしょう。(会社の利益を考えれば、当然の行動です。)
よって、夜遅くにスーパーに行くと、弁当がない(食べるものがない)と言う状態に陥ります。
極端な話、「賞味期限を守って、餓死させる。」と言う事です。
こうした日本人の反応をみると、「日本人は、すぐ極端に走る」と言う悪い傾向が浮き彫りになります。
一方で、中国人は、もっと大らかなので、この日本人の感覚が理解できないのです。
私も私の周りの外国人も、上海にいる時に、何回か食中毒にはなりましたが、
周りの中国人からは、「運が悪かったね。安いところで食べるからだよ。」といつも言われました。
もちろん、中国人のアバウトさやどんなミスをしでかした時も、「絶対に謝らないで逆ギレ」する態度に対し、「頭来た」事は、2度や3度ではありませんでした。
彼らは彼らでもっと、謙虚にならないといけないとは思います。
しかしながら、その一方で、些細な事でも、重箱の隅をつつき、謝罪を要求する(謝罪しても、
謝罪の仕方が不誠実だとさらに責め立てる)様な日本人の「変な厳密さ」と「残酷性」もまた、
改めるべきかと思います。
今回の中国製餃子問題に関しては、一般の中国人は、日本人が大騒ぎする理由
が理解できておりません。
一方で、「スーパーで弁当が買えなくなる程、『たかが賞味期限』にすぐ神経質になる日本企業
や日本社会の感覚」も明らかに異常です。
私自身は、腐ってでもいない限り、賞味期限が切れようが何であろうと、弁当を置いて欲しい。
平日に、自分で作る時間は無いし、仮に食中毒になっても、飢えるよりはマシですから。。。
発展しそうな勢いです。私は、つい最近まで、2年弱程、上海に駐在しておりました。
滞在中は、中国語を一生懸命勉強したので、日常レベルの中国語は話せます。
仕事でも、中国人同僚とどっぷり仕事にはまっていたので(込み入った話は英語を使いましたが)、
まあ一般的な日本人に比べれば、中国通と言えると思います。
今回の食中毒事件発生後の両国メディアの対応は、相変わらず噛み合っていませんね。
中国メディアは概して、無関心。あるいは、「日本人は大騒ぎしすぎ。」と言う
反応と読み取りました。
こうした報道に、違和感や怒りを感じる日本人は多いと思いますが、
「日本人は大騒ぎしすぎ。」と言うのは、ある一面で正しいと思う。
ミートホープ事件、赤福事件、船場吉兆事件、および最近の古紙配合率偽装事件と、
日本人は細かい事を騒ぎ過ぎます。
私は現在、一人暮らしなので、平日は会社帰りの夜遅くに、近くの大手スーパーで弁当を夕食
として買う事が多いのですが、一連の食品偽装事件以来、このスーパーも神経質なった様で、
夜9時位に入ると「弁当がない。」と言う状況です。
一連の事件前までは、夜11時位にも、ふんだんに置いてありました。
つまり、どういう事かと言えば、事件前は「売れ残ったのは翌日になって、
日付を貼り替えて、販売していた」のでしょう。
一連の事件後、偽装発覚を恐れたこのスーパーは、「その日に確実に売れきれる分しか
製造しなくなった。」と言う事でしょう。(会社の利益を考えれば、当然の行動です。)
よって、夜遅くにスーパーに行くと、弁当がない(食べるものがない)と言う状態に陥ります。
極端な話、「賞味期限を守って、餓死させる。」と言う事です。
こうした日本人の反応をみると、「日本人は、すぐ極端に走る」と言う悪い傾向が浮き彫りになります。
一方で、中国人は、もっと大らかなので、この日本人の感覚が理解できないのです。
私も私の周りの外国人も、上海にいる時に、何回か食中毒にはなりましたが、
周りの中国人からは、「運が悪かったね。安いところで食べるからだよ。」といつも言われました。
もちろん、中国人のアバウトさやどんなミスをしでかした時も、「絶対に謝らないで逆ギレ」する態度に対し、「頭来た」事は、2度や3度ではありませんでした。
彼らは彼らでもっと、謙虚にならないといけないとは思います。
しかしながら、その一方で、些細な事でも、重箱の隅をつつき、謝罪を要求する(謝罪しても、
謝罪の仕方が不誠実だとさらに責め立てる)様な日本人の「変な厳密さ」と「残酷性」もまた、
改めるべきかと思います。
今回の中国製餃子問題に関しては、一般の中国人は、日本人が大騒ぎする理由
が理解できておりません。
一方で、「スーパーで弁当が買えなくなる程、『たかが賞味期限』にすぐ神経質になる日本企業
や日本社会の感覚」も明らかに異常です。
私自身は、腐ってでもいない限り、賞味期限が切れようが何であろうと、弁当を置いて欲しい。
平日に、自分で作る時間は無いし、仮に食中毒になっても、飢えるよりはマシですから。。。
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