2019年1月5日土曜日

「労働は善」と洗脳されているのかも。

改めて、明けましておめでとうございます。

さて、年末年始に何をしていたか? をざっと振り返ってみます。
12/28金まで、普通に出社しておりました。
12/29は、自宅周辺の公園で娘と遊んでいました。
30日は、教会の年末祈祷会に午前中出席し、午後は、家族で渋谷で買い物。
31日は、車を一時間運転して、家族で埼玉のコストコに行き、鬼の様に買い物。深夜は、年越しジョギングをしておりました。
元旦は、家族で大江戸温泉物語と言うスーパー温泉で丸一日。
2日は、自宅でのんびり。
3日は、車を運転して、家族で実家訪問。
1/4金は、普通に出社。

こんな感じでした。
長々と書きましたが、特筆すべきは、12/28金と1/4金の朝の通勤電車です。
まず、電車はガラガラ。
勿論、オフィスもガラガラ。

何だか、日本人は、急激に働かなくなりましたね。
良いことだと思ってはおりますが、90年代の「24時間働けますか?」のカルチャーに慣れている貴公子から見ると、正直、20年で、ここまで社会が変わるのか? と驚愕しております。

さて、日経の記事です。
→ 崩れる「勤勉は善」 ロボが心を読む時代 

<以下引用>
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近代資本主義は労働を「天職」と考える人たちの禁欲的な働きが支えた。ドイツの社会学者マックス・ウェーバーは20世紀初めに発表した「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」でこう指摘した。しかしAIやロボットが普及した社会では前提が変わる。人は多くの労働や作業から解放されるからだ。

 そのとき求められる働き方はどんなものか。デザイナーのレイ・イナモト氏は「人の仕事は0→1と9→10に収れんしていく」とみる。料理で例えれば、一般的な調理(1→9)はなくなり、メニューの考案(0→1)と最後の手直し(9→10)が残るという。
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「勤労は善」と言う価値観は、せいぜい、ここ100年位の価値観の様ですね。
日本でも、江戸時代なんかは、町人も百姓も実は、かなりノンビリしていたようです。
古代ローマ帝国でも、ローマ市民は、労働はせずに、フラフラしていた様で、そのあり余った時間の中で、哲学や思想が発展した様です。
と考えると、働くなった昨今の日本人は、思想的に進化しているかも知れませんね。

また、貴公子自身の仕事を見ても、言われてみれば、「作業」が多い。
もっと、自動化を進めて、思考する時間を増やさないとダメなのでしょうね。

1/4金曜日のガラガラの通勤電車を見て、一生懸命、通勤している貴公子は、バカなんじゃないかと少し、不安になりました。笑
さて、今年は、昨年以上に、短時間労働時間を目指します!
目標ですが、年間労働時間1500時間!

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