2020年2月15日土曜日

【長文】 俺が成功できない理由が良く分かった。笑

さて、通勤中の電車の中で読んだ記事があまりにも深すぎて、感動を通り越して、感涙しました。⇒ 佐藤優が説く「下品な人に心削られない働き方」

尚、佐藤優氏は、国後島のムネオハウス疑惑で、逮捕起訴収監された元外交官です。因みに、氏には多数の著作がありますが、処女作の「国家の罠」を始め、大方、読みました。どの本も、非常に知的で面白いですね。

さて、冒頭の記事に話に戻ります。

(引用1)
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十数年前くらいになりますが「勝ち組」「負け組」という言葉がちまたで盛んに使われ出しました。社会は経済的に恵まれる「勝ち組」と、貧困にあえぐ「負け組」の2つに分化していくということで、はたして自分がどちらの組に入るか? と衆目を集めました。
 勝ち組に入るためには何をするべきか、負け組にならないために何をするべきか──。雑誌や単行本、テレビなどでも盛んに取り上げられました。嫌な言葉だと思いますが、最近あまり聞かれなくなったのは、すでに「勝ち組」と「負け組」が決まり、固定化したからかもしれません。
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確かに、一昔前に「あなたも頑張って、勝ち組になろう!」みたいの本が沢山、出版されておりました。
その手の本は、ビジネスマンに人気があったし、私自身も数冊は読んだ記憶があります。
ただ、当時、言われていた「勝ち組」と言うのは、もっと広い意味で考えられてました。
つまり、「仕事を人一倍頑張り、自己研鑽に励み、人間性も磨き、周囲の信頼を得れば、みんな勝ち組になれる。全員は無理にしても、努力した人は、必ず勝ち組になれる。」と言った感じで、今となって見れば、『牧歌的」だったし、『衆人救済』要素が強かった筈です。

しかし、その後、「勝ち組」と「負け組」は、とんでもない変な比率で固定化されてしまいました。
勝ち組は、多分1%程度で、99%は負け組となってしまったと言う現実があると思う。
この辺の記載が下記です。

(引用2)
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私に言わせれば、現代の競争社会の中で勝ち残っている人は、特異な能力があるか、あるいは親の遺産を引き継ぎ、最初からスタートラインが違っているか、さもなければよほど図太く、図々しい人物であるかのいずれかだと思います。現代社会にあって、成功者の多くは「図々しい」人物だと言ってもよいと思います。それはマルクスがすでに100年以上前に指摘したことと重なっています。
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全くその通りで、イーロンマスクみたいな天才か、安倍首相みたいに爺さんが偉い人か、他人を蹴落とすのが平気な異常者(カルロスゴーンとか前東芝社長とか)と言った特殊な人しか「勝ち組」になれなくなった感があります。

昔の話ですが、付き合いのあった年の離れた社長がおりました。
日本人です。
世間一般では全く無名だけど、とんでもない富豪で、プライベートに飲んだ時は、「俺の個人名義の銀行預金だけで、とうとう100億円を超えた。不動産とか株式は別だよ。」と豪語しておりました。
彼は、地方都市のちょっとした企業のオーナーな訳ですが、呑み会では、「俺の会社には、毎年新入社員が数十名入ってくるが、採用選考には一つの『絶対基準』があるんだ。」と良く言っておりました。

貴公子 「どういう基準なんですか? 」

富豪 「中学校とかで、5段階評価ってあるじゃない。あれで言うところの評価3の人間を取ると言うポリシーだよ。」

貴公子 「え? 4とか5と言った優秀な人を取ろうと言うのが普通じゃないですか? 何で、あえて、『3の人』を採用するんですか?」

富豪 「その辺が、君みたいな学校秀才のダメなところんだよ(笑)。1とか2は、勿論、バカだから論外だ。日本語の読み書きも怪しいし、業務指示も満足に理解できない。一方で、4とか5の人間は、自分の頭で考えようとするからダメだ。上司が指示しても、『その指示は正しいのか?』とか、問題意識を持ったりするだろう。」

貴公子 「なるほど、上からの指示に何の疑問を持たないのが、3だから、使い勝手が良いと言う事ですね。」

富豪 「まあ、ぶっちゃけ、その通り。3の人間には、『頑張れば、必ず報いるよ。」とか言って乗せれば、疑わずに幾らでも滅私奉公する。かと言って、問題意識を持ったり、上司を出し抜こうとする機転もないから、非常に便利だ。逆に言えば、君みたいな問題意識をすぐ持つような人間は、絶対に当社に入れないよ。笑」

そんな様な会話でした。
その辺の自称知識人の綺麗ごととは訳が違う、富豪の本音が分かる有意義な会話でした。
確かに、自身に近い取り巻きを囲んだ呑み会では上の様に放言しておりましたが、自社の社員の前では、慈愛に満ちた好々爺の顔をして、日々の努力と素直さが如何に大切かを説いておりました。(あの2面性も正直、凄かった。)

この辺の事も、佐藤氏は述べております。
氏が素晴らしいのは、ここでマルクスの資本論を持ってくるところです。
私は、経済学部出身なので(専攻はマクロ経済)、マルクス経済学の理論書も昔、何冊か読みましたが、ここまで簡潔かつ的確に説明している解説に触れたことがありません。
正に、マルクス経済学の真髄でありますね。

(引用3)
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マルクスは資本主義社会の中においては、生産手段を有する資本家と、労働力を商品として資本家に売るしかない労働者の2つに分かれると指摘しました。労働者はどれだけ働いてもお金持ちになることはできません。それは資本家が労働者を商品と同じように扱い、できるだけ安い賃金で働かせようとするからです。この構図をマルクスは資本家による「搾取」と呼びました。
 ですからどんなに利益が上がったところで、資本家はそれを労働者に分配することはありません。どんな状況であれ、とにかく安く労働力を購入したほうが利益が上がります。資本家はつねに利益の最大化を図り、他社との競争を勝ち抜くために拡大再生産を行おうとするのです。
 利益の分配は、役員や株主との間で行います。労働者は人格を持たない商品ですから、分配する対象ではないのです。資本主義のこの構図を知れば、お金持ちになるには搾取する側、すなわち資本家にならなければダメだということがわかるでしょう。
 つまり、人間を人間として扱うのではなく、労働力商品として扱える人が資本家になれるのです。成功してお金持ちになるためには、他者を商品として扱える人でなければなりません。そういう人はどういう人でしょうか?  人を労働力商品として扱い、平気で搾取できる人間=図太くて図々しい人なのではないでしょうか? 
資本主義の論理がむき出しになった現在の新自由主義経済の下では、繊細で優しい心を持った人が勝ち組になることは難しい。「図々しい人」ほどのし上がる。まっとうに人を人として扱い向き合える人、奥ゆかしい人ではとても勝ち組にはなれないということです。
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赤字でハイライトした部分は、正に究極です。
我が国は、失われた30年とか言って、給与も上がってないどころか、むしろ下がってますが、企業が儲けていなかった訳ではないです。
それなりに儲けていたのに、オーナーとその取り巻きの役員と株主で分配し、残りは内部留保でため込んで、従業員には還元しなかったのですが、この辺の事を上では述べております。
先の富豪の話に戻れば、「人間を人間として扱うのではなく、労働力商品として扱える人」でないと勝ち組になれない訳です。

これが新自由主義の真実な訳ですね。
かつてのブログ記事で、新自由主義を何度も賛美しましたが、実際の新自由主義は、「努力すると報われる。」とかそんな生易しい話ではなく、「徹底的に簒奪する」と言った類のものであると言う事ですね。

佐藤氏が言う「図々しい人」にも、私はなれないですねえ。。。
別に社内で権力を持っている訳でも何でもないけど、それでも、私は自分よりも立場の弱い人や困っている人に、寄り添う様な感じで接する性格です。
言ってみれば、「上には批判的、下には同情的」に接するタイプで、社内で権力を持つような『下の人間の手柄は奪い、自分の失敗は下に押し付け、上には徹底的にぺこぺこする』様な事が出来ないだよなあ。。。

兎に角、佐藤氏のお陰で、この世の真理に今頃、気が付いたよ!笑
私も含めた庶民は、いつも気が付くのが10年遅いよ。
その間に、「勝ち組」連中は、いつも搾取を終了しているんだけどさあ。。。

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