2018年10月8日月曜日

「一期一会」感が無さ過ぎの出身高校の同窓会誌に違和感!

3連休ですね。
新生児がいるので、遠出する訳にも行かず、最近、お気に入りのCostoco行ったり、通っている教会のちょっとした行事に出たりして、平和に過ごしておりました。
(因みに5歳の娘には、英語と韓国語を学ばせているので、土曜日は、複数の塾の掛け持ちで、毎週、とても忙しいです。)

さて、そんな訳で、溜まっていた郵便物にも目を通しました。
毎年、今ぐらいの時期に出身高校から、同窓会誌が送られてくるのですが、今年は、久しぶりに、少し目を通してみました。

同窓会誌ですから、80歳過ぎのお爺さんも、高校卒業したての大学生も色々と寄稿しているのですが、卒業して数年の若者なら兎も角、卒業後、何十年も経った貴公子にとっては、出身高校の事なんて、今や本当にどうでも良い。

15歳位の時に、何かの縁に惹かれて、受験して、合格して、入学して、そして卒業した訳だが、別に、あの高校でなければ、学べなかった事なんて、あった訳もない。
確かに、青春の一時期をあの高校で過ごしたのは事実であり、それなりに楽しい思い出もあったが、そんな事は、卒業後、何十年間の間に忘れたか、かなり薄まりましたねえ。

率直に言うと、貴公子よりも年上の複数の同窓生が、哀愁一杯に、高校時代の思い出を書いたりしているのが、気持ち悪いし、酷いのになると、高校の現体制の批判をしている人まで居て、その執着心に恐怖を感じます。(笑)

貴公子は、何事も、一期一会だと思っております。
青春の一時期、たまたま在籍していただけの高校だし、大学も偏差値とかの関係(笑)で、必然的に在籍していただけだし、社会人になって勤務した会社も、その時々で、必死に考えて就職して、学ぶことは学んで、貢献するところは貢献していただけの話であり、「その時に、たまたま運命が交差しましたね。」と言うだけの話です。

従って、貴公子は、学生時代の同級生とか、昔の会社の同僚とかとは、幅広い付き合いはありません。
かっこよく言えば、「群れるのが嫌い。」と言う事と理解しております。
逆に言うと、それでも付き合いがある同級生や同僚と言うのは、かなり数が限られた「友人」と言う事になりますね。

こんな価値観はみんなが持っているもんだと思い込んでおりましたが、あの同窓会誌を眺めていると、「哀愁」と言うか、「偏執的な執着心」を持っているおっさんが散見されて、気色悪いですね。

すべては、一期一会です。
鴨長明の方丈記ではないが、「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。」と言う、この世の儚さを理解しているつもりです。

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