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2016年11月23日水曜日

朝日新聞記事を読んで、我が国エリートの思想を考えさせられた!

朝日新聞電子版の記事です。
→ 朽ちた艦船・零戦…南洋に今も 「餓島」と呼ばれた島

(以下引用)
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サイパン、フィリピン、沖縄。物資を断たれた旧日本軍は壊滅が続いた。
「敗北の事実を隠すことにのみ真剣で……日本軍は自分に都合のよい推測によって敵を評価するという悪弊を、いつまでも匡正(きょうせい)し得なかった」。
(中略)
昨年はノモンハン事件で知られるモンゴル東部に行った。1939年、旧ソ連と関東軍が衝突した地だ。 戦線で日本のある部隊は水も食料もなく20倍の兵力に囲まれた。脱出した指揮官は停戦後「独断撤退」と責められ、自決を強要された一方、紛争を拡大した関東軍参謀らの処分は軽かった。そして、ガダルカナル。陸軍中枢に異動したこの参謀らは、同じ過ちを繰り返した。
(中略)
失敗に学ばない組織の下で死んだ兵士らの無念を、改めて思った。
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>敗北の事実を隠すことにのみ真剣で

中々、痛烈な言葉ですね。
企業レベルでは、粉飾決算をする事で、「敗北の事実」を隠蔽することが象徴的な例であるが、個々のビジネスマンレベルでも、自己正当化はよく散見されます。

貴公子も長くサラリーマンをやっておりますが、「これは俺の間違いだった。申し訳ない。」と率直に言える人間は、100人の内に20人いるかいないかですね。
大部分は、変な言い訳をして、「俺は悪くない。」と言う理論を展開しますねえ。。。
尚、そう言う輩が出世するが定石となっていた拓銀は、あっけなく崩壊しました。
あなたの会社は、どうですか?笑

因みに、率直に謝る20人がみんな立派だと言う訳ではありません。
この20人の内、半分は、「兎に角、謝罪することで、その場をやり過ごす」ことに熱心で、謝る癖が付いているだけです。
これは、これで大きな問題ですね。

しかしながら、上記の記事中にもある様に、先の大戦で多くの前途ある若者が異郷の地で亡くなりましたが、当時の指導部(参謀本部)のエリート将校は、東京の安全な地下司令室で、戦闘現場の実情を無視して、くっちゃべりながら、無謀な作戦を立てていた訳です。
この為に、多くの現場の若者が犠牲になりました。

こうした参謀部エリートは、戦後も特に罪に問われることもないどころか、多くは罪悪感のカケラもなく、戦後の高度成長する日本社会で、政財界の要職に就き、尊敬と羨望を受けながら、その生涯を閉じましたねえ。

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一方、1960年代に英国で、ソ連の美貌女スパイに、当時の英国陸軍大臣プロヒューモが篭絡され、機密情報がソ連に流れたとされるプロヒューモ事件がありました。
これです。 → プロヒューモ事件 

因みに、このWIKIの記事は微妙に間違っているし、一番重要なプロヒューモの「その後」が抜けております。
問題を複雑としたのは、プロヒューモは、最後まで彼女をソ連のスパイとは認識できていなかった事と、プロヒューモもソ連女スパイも、何が2人の間で語られたかを明らかにしなった事。
従って、どのレベルの機密情報がソ連に流れたかは、今現在も不明なのであるが、いずれにせよ、問題が発覚してから、プロヒューモは陸軍大臣どころか政治家からも引退しました。

「その後」なんですが、「英国を裏切ってしまった!」と自責の念に駆られたプロヒューモは、2006年に死亡するまで、40年以上、公衆トイレの掃除を朝から晩まで、一日も休むこともなく、ボランティアでやり続けたとの事でした。
彼なりの責任の取り方であったのでしょう。

プロヒューモは、確かに背信行為をしたが、同時にその責任もしっかりと取り、そして行動によって贖罪をしたと思う。

それに比べて、昔も今も我が国のエリートは、どこか薄っぺらいと感じるのは、貴公子の歴史知識が浅いからであろうか?
そんな事を、勤労感謝の日の本日に考えております。





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