2019年2月17日日曜日

35年前の話が、繋がった!

35年前と言えば、東京スラム街にある公立中学校に通っていた時期です。

結構、大きな中学で、同学年だけで300人位いました。
当時、その中で、学年トップを競っていた同級生がおりました。
彼は、ソウル生まれの韓国人で、小学生の時に、父親の仕事の関係で来日し、そのまま地元の中学に進み、そこで貴公子と、学年トップを競っていました。(私は、中学生の時は、少しだけですが、勉強が得意でした。)

そんな彼ですが、中学2年の秋に韓国に帰国する事になり、中2の夏休み明けの5科目試験では、「最後にトップになるんだ!」と、凄い気合を入れておりました。
この試験の事は、貴公子もよく覚えております。

彼は、サッカー部に属しており、女子生徒にも結構人気があり、彼を応援するグループがありました。
一方、貴公子は貴公子で、日本の公立中学校で日本語で試験をやっているのに、帰国直前の韓国人にトップを取らせる訳にはいかないと妙に燃えて、おりました。
試験前から、学年全体が異様な雰囲気となっておりました。

さて、試験当日です。
思ったよりも難し目の問題だったせいか、トップレベルの他の生徒が軒並み、「ダメだった。」と言う中で、彼は一言、「全部、自信を持って埋めた。」と言い切りました。
ある友達は、「貴公子だけが、最後の砦だ。これで貴公子が陥落したら、国辱だ。」とまで言ってきました。
学年全体が試験結果を固唾を呑んで待ち、一週間後に結果発表となりました。

彼は、あの難しい目のテストで、500点満点で486点を叩き出し、周囲は唖然。
一方で、貴公子は、その上を行く、494点を確保。
正に、お互いに、意地とプライドを賭けた戦いでしたねえ。。。

中学高校時代は、数多くのテストを受験しましたが、点数まで完璧に記憶しているのは、このテストだけです。
テスト結果を見て、彼は、「貴公子は化け物かよ。」とつぶやいたのが、今でも深く記憶に残っております。

その後、彼はソウルに戻り、貴公子は貴公子で、彼の事は忘れて、35年が経過しました。
そんな彼が、本当につい最近、一橋大学に勤務をしていることを知りました。
専門は、「韓日現代史」との事。

誠に懐かしいですね。
まあ、彼の論文は、いくつかネットに転がっているので、この週末は、何本か読んだのですが、随分と左寄りな思想には見えますね。
既報の通り、貴公子の妻は、ソウル出身の韓国人な事もあり、貴公子はそれなりに「かの半島」に対する見解を持っているが、そんな事はどうでもよく、是非とも、もう一度、会って、馬鹿話をしながら、旧交を温めたいと思っております。

「旧友として、早速、コンタクトを取ろう!」とSNSアカウントを始め、徹底的にコンタクト手段を探したのですが、公開されているSNSアカウントは無いですね。
従って、彼が所属している大学事務局宛にメールを書いて、転送してもらおうと思っております。

いやあ、懐かしいですね。
この「出会い」もネットのお陰です。

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ところで、あれ程、優秀だった彼も、一流大学とは言え、「韓日現代史」みたいなかなりマイナーな講座の先生だし、貴公子も、ただのサラリーマンです。
また、貴公子の出身高校は、当時、東京全土から神童レベルが集まっており、実際に半分以上が、東大に行ったが、今となっては、9割は、普通のサラリーマンをしております。
少数の華々しい例として、日経で「顧客評価の高い、企業弁護士ベスト10」とかに選ばれている奴もおりますが、それでも、イチ弁護士である訳で、ZOZOの前澤や落合陽一の様になっている奴がいる訳ではありません。
まあ、学生時代の学業成績と、社会人になってからの成功は、全く別であると言う、良い例かも知れませんね。

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