2018年11月3日土曜日

議論するのが、面倒くさい。

まあ、仕事もそうなんですが、最近は、色々と議論するのが面倒臭くなっております。

色々な価値観の人がこの世にはいる訳で、知的水準も当然、千差万別です。
昔は、議論や説得により、違う価値観の人とも、擦り合わせる事ができると思って、かなりの労力を費やして、コミュニケーションを取っておりましたが、最近は、完全に諦めております。

よく考えてみたら、価値観が異なる人の意見を、受け入れる事の出来る人は、貴公子の人生において、見たことがありません。(貴公子も、勿論、無理です。)
恐らく、そんな心の広い人は、この世に存在しません。

貴公子も、特に20代の頃は、非常に尖っていたので、異なる価値観を全く受け付けなかったです。
年を取って、丸くなってきておりますが、それでも、似たような価値観の人と付き合いをする訳で、人間なんて、その程度のものだと思っております。

貴公子が大っ嫌いなタイプとして、「苦労知らずの金持ちのボンボン」とか「綺麗ごとばかり言う優等生」とかがありますが、こう言う人とは、何を話しても一切、話が噛み合わないし、ましてや価値観を擦り合わせるなんて不可能です。(疲れるだけです。)

まあ、そんな訳で、表題の様に、「議論するのが面倒くさく」なっております。
逆に言うと、少数の価値観の合う人とは、男女共に、2言、3言の言葉を交わせば、十分に分かり合えるので、そう言う人とだけ、「議論」する様にしております。
それ以外の人には、「説明はするけど、議論はしない。」と言うスタンスです。

この辺に気が付いてから、人生がとっても快適になりました。
同時に、昔に比べて、会社でも外でも、あまり喋らなくなりました。(笑)
言葉でコミュニケーションを取る必要をあまり感じなくなったからです。

昔ある人が、「一生懸命、勉強をして、教養を身に着ける目的は、ストレスなく人生を生きるためだ。」と言ったが、その意味では、ストレスなく生きております。(笑)
職場では、淡々と仕事の話だけを事務的にしているので、仕事のパフォーマンスも明らかに上昇していると自負しております。

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