2016年9月11日日曜日

何かを得る為には、犠牲を払わないと無理だと思う。

なぜか産経新聞が大騒ぎしている下記の件ですが、この谷本と言うコンサルタントのバカ丸出しの片山さつき批判は、完全に意味不明です。
片山さつきは何も分かっていない! 「現代型貧困」の現実を直視せよ 谷本真由美(コンサルタント兼著述家)

この谷本と言う人は、「国民が手に入れたいものは、すべて提供するのが国家の役割だ。」とか思っているみたいであるが、甘やかされて育った苦労知らずのお姫様か、それともふざけて書いているのかどちらかですね。(多分、前者でしょう。)

言うまでもないが、何かを得る為には、何かを犠牲にする覚悟が必要です。
「あれもしたい、これもしたい。」で全部、手に入れることなんて、どんな優秀な人でも出来ません。

最近、USCPA試験に合格した知り合いが、試験を突破するために、「会社を1年間休職した上、、勉強の邪魔になると言う理由で、彼女とも別れて勉強した。」と言っておりました。
そんなモンです。

以前、知り合いだった同世代の女性が、「友達と遊びたい。彼氏との海外旅行は年3回はしたい。ブランド物も欲しい。英語を使ったグローバルな仕事もしたい。趣味のテニスもちゃんとやりたい。住む場所は自由が丘か田園調布で、経済的にも恵まれたい。大きな組織で責任のある仕事もしたい。」とまるで、王侯貴族の子女の様な要求をしていたが、まあどれも、あまりにも中途半端な結果となりましたね。
何でもかんでも出来る訳ではありません。

貴公子自身の話をすれば、例えば、20代前半の拓銀の北海道の支店勤務時代に、どうしても英語力を身につけたいと思いました。
朝5時起きで毎朝2時間、夜10時の帰宅後にビールも飲まずに、さらに3時間勉強しましたが、正直、この程度の努力(犠牲)は、誰でも出来ると思っております。

拓銀が破綻後、一応、拓銀のエリート部門に最後に所属していた貴公子は、東京の一流企業からも、いくつか良い給与でのオファーがありましたが、「英語力を上げたい。」と言う、その一心で、あえて、中堅メーカーの国際営業部と言う、「英語力を上げるには良いけど、給与は拓銀1年目以下に落ちる。」と言う選択をしました。
(ある意味、非常に大きな決断でした。そんな訳で、この頃の週末は、朝から晩まで、一日12時間くらい、CNNやBBCで英語の勉強をしておりました。)

「仕事は適当にこなし、週末は彼女と遊びたいし、それでいて給与も良い方が良いし、英語力も高めたい。」なんて言うムシの良い話はあり得ません。
リスクを取り、犠牲を払わなければ、何も得られないのです。

ついでに言えば、更に英語力を上げるためには、海外のビジネス現場で、ガンガン英語を使わないとダメだと認識し、30歳で単身、フィリピンマニラに行き、地元のIT企業で、月給3万円生活をスタートしました。
この辺の経緯はこちら。→ 激闘!マニラでの4年間(序章 マニラへの道)

何が言いたいかと言えば、たかが英語力を上げると言う、たったそれだけの事だけでも、これだけの金銭的、時間的、社会的な犠牲を払ったと言う事です。

この谷本とか言うコンサルタントに言わせれば、「英語を勉強したいという熱い心に答えて、拓銀は社費で留学させるべきだった。」とかになるのでしょうが、まず、世の中そんなに甘くないし、尚且つ、「自分の力で掴み取る。」と言う過程は、結果以上に重要であるから、仮にそんなアレンジを拓銀がしたとしても、そこに頼りたくはありません。
端的に言って、「たかが英語力」の為にそこまで苦労した自分を、誇りにさえ思っております。
(勿論、その後、貴公子自身がUSCPAを突破する時も、多大な犠牲を払いました。)

冒頭の産経の記事に書いてある、女子高生の例で言えば、コンサートにも行きたい、友達と1000円のランチも楽しみたいと言うのは、その年頃の子供には当然の欲求だろうけど、それでもそこを自制しないと、「何かを得る事」はできません。

家庭が貧しいというのは、大きなハンデであることは認めるが、我が国の素晴らしいところは、絶望的な格差が存在しないと言うことです。
例えば、どんなに貧しいとしても、ブックオフで定価2000円の参考書を50円で買って、公園の街灯の下で勉強して、東大に入学する事は可能です。
確かに、豊かな家庭で育った人に比べれば、数倍の努力は必要だが、不可能ではないのも事実です。

貴公子が過ごしたフィリピンでは、絶対逆転不可能な社会階級があり、それに比べれば我が国は、相当程度に公平な国です。
この女子高生の「貧しいけど進学したい。」と言う気持ちは、とても尊いものですので、是非とも頑張って欲しい。

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