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2012年8月20日月曜日

ビジネスキャリアに関する私見!

製造業事務職で、ビジネスキャリアを積んでいるKさん、メールをありがとうございます。
30歳を目前に控えて、今後のキャリアに悩んでいる様子がメール全体から伺えて、なんだか10年前の自分と向き合っている様で、感動しました!(笑)

目前に控えたUSCPAの勉強と、仕事で死にそうに忙しいので、簡単にしか回答できませんが、
ビジネスキャリアに関する私見を述べたく。

貴公子は、このブログでも書いている様に、大学卒業後に、今は倒産した北海道拓殖銀行にて支店勤務の行員として、ビジネスキャリアをスタートさせました。

拓銀支店勤務時代は、残業が月100時間越えるのは当たり前で、酷いときは200時間を越えることもありました。 (月100時間の残業と言うのは、退社が毎日夜10時とか11時と言う事です。)
新卒で、ビジネスの右も左も分からない中で、兎に角、上司先輩から言われた作業を、必死に、こなしました。「これだけの激務をこなしているのだから、凄いキャリアを積んでいる筈だ。」と、純粋無垢に信じ込んでおりましたねえ。。。

4年後に、拓銀が破綻し、 「さあ転職。」と喜び勇んで、多くの事業会社に履歴書を郵送しました。
「いくらでも、内定が取れるだろう。だって、あれだけの『キャリア』を積んだんだから。」と無邪気に信じておりましたねえ。
幸せな事に。。。。

で、結果!
片っ端から書類審査で落選!
ショックでしたねえ。(笑)
何だか、極北の地での「4年の労苦」が全否定された様な気がしましたねえ。(笑)

この結果を受けて、「敗戦分析」をしました。
「27才の職歴としては平均的だ。」、「TOEICの点数は高い(当時800点台中盤)が、英語実務経験はない。」とか色々と考えましたが、要は、「あの拓銀での実務経験は、ビジネスキャリアに全然なっていない。」と言う事に、ある日、突然、気付かされました。
27歳になったばかりの頃です。

きっかけは、ある会社の面接。
貴公子 「地縁とか血縁の無い北海道の土地で、営業や融資活動を、4年間、一生懸命やりまし       た。健康とガッツには、自信があります。英語も少ししゃべれます。」
面接官 「ふ~ん。で、君は何ができるの???」
貴公子 「基本は、熱意と情熱の営業力です。ただ、事務処理能力にも自信があります。
      拓銀支店時代は、住宅ローンの受付から実行までを、一人で担当し、処理能力の高さを
      上司先輩から、認められておりました。だから、事務作業にも向いていると思います。」
面接官 「要は、何も、特技がないと言うことね。。。。」

まあ、こういう事です。
要は、所属会社で一生懸命に仕事をしていても、その会社の中ではともかく、対外的には、何にもならない事があると言うことです。
自分で失敗して、初めて学びましたねえ。(笑)

若干27歳の若者に対して、この面接官は、少々厳しかったと思いはしますが、ビジネスマンとして、まだまだ青い当時の貴公子に対し、真剣に向き合ってくれたと言う点では、今でも感謝しております。あの人は、今どうしているのでしょうか???
どこかのビジネスシーンで会うことがあったら、是非、酒を酌み交わしてみたいですねえ。(笑)

「すごく一生懸命、仕事を頑張っている。でも、残念ながら、10年後とか20年後に、ビジネスマンとして、対外的な強みとなる様な強固なキャリアを、何も形成していない。要は、10年後、20年後に何にもなっていない。」と言うビジネスパースンが、特に日本には、非常に多い様に思います。

自己キャリアと言うのは、会社が作ってくれるものではなく、「自分がなりたい将来像を考えて、それを会社にぶつけて、会社の協力の元に作っていくもの。」だと思います。
こうした自己キャリアの形成こそが、単なる便利な雑用係からの脱皮になる筈だし、長い目でみれば、会社にとっても、大いにプラスになる筈と信じております。

ご参考になれば!!!

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