2010年2月7日日曜日

激闘マニラでの4年間(第5章。番外編)

フィリピン・マニラでの現地採用ストーリーに関しては、多くの人から多数のコメントを頂きます。
厳しいコメントも、温かいコメントも、シニカルで頭に来るコメント(笑)もありますが、兎に角、コメントを頂けると言うことを、ブロガーとして、素直に感謝したいと思います。
今後とも、御購読をよろしくお願いします。(笑)
ところで、フィリピン現地採用ストーリー(現在、第4章まで完了)の「連載」が終了してから、「総括的」に書こうと思ったのですが、勘違いしてしまう若者がいる様なので、今、総括したいと思います。
若者Fよ、君の事だ!(笑)
確かに、フィリピンマニラでの4年間の生活は、キツかった。
浪人1年を含めた大学受験時代や、北海道拓殖銀行での孤独な勤務時代(笑)、フィリピン帰国後の、上海における2年間に渡る欧米企業との国際ビジネス等もすべてキツかったが、フィリピンマニラでの4年間の過酷さは、レベルが違った。
「いつどんな言い掛かりを付けられて逮捕されるかもしれない。」とか、「熱帯性の病気になって、現地で病院にかつぎこまれても、『金を無い奴は診ない!』と宣言されて、放置されるのではないか?」とかの恐怖が常にあった。
「魔都マニラ」、正にそう言える場所であった。底知れぬ恐怖を感じた事が何度かあった。
そうした「恐怖の環境(笑)」の中で、サバイブする為に、大して優秀でもない頭をフル回転させて、凌ぎまくったと言うのが現実です。
(前にも言いましたが、フィリピンから逃げることは一番簡単だったんだろうが、中途半端で逃げることは、自分のアイデンティティが崩壊する様な気がしたので、それだけはしたくなかった。)
「スタイリッシュなマニラ生活」なんて形容は程遠いし、泥臭く生き残ったと言うのが現実です。
(どちらかと言えば、大学卒業までは、ライフスタイルも服装も、スマートな感じの貴公子だったのですが。。。)
従って、あのキツい4年から、私なりの結論を言えば、「くだらない苦労はしない方がいい。」と言う事ですね。
先日、私にメールをくれた若者Fに向けて、もう一度、言います。
「世間の人は、『若者は苦労しろ!』と簡単に言うが、そういう事を簡単に言う人に限って、ぬくぬくと生きてきた人が多い。くだらない苦労は、やはりしない方がいい。」
私のフィリピンマニラでの4年間も、海外勤務の経験を積むとか、「独力で生き抜いてみたい!」と言う自己満足を満たすためには、意味があった。
そして、最終的には、「廃人になることもなく、フィリピンから戻ってきた。」と言う事自体に、満足はしております。
ただ、海外勤務の経験を積むにしても、どっかの大企業から、手厚い福利厚生に守られて赴任し、欧米の大企業と大きなビジネス取引の経験をした方が良いに決まっております。
「1000円とか2000円のビジネス取引の為に、ジムニーやトライシクルに乗り込んで、一日を掛けながら、汗だくになり、ペコペコ頭下げながら、ビジネスをする。」なんて事は、サバイブする為には必要であったが、まともな国際ビジネスマンが体験するマトモな苦労ではない。
確かに、「命のやり取りをする様な」と言ってもいい位の苦労はしたが、あれだけの事を、
ビジネス環境の整ったアメリカとか日本とかでやれば、「ビジネスマンとして、もっと大きくなれたのでは?」と、今でも思います。
もう一度、言います。
基本的に、貴公子がフィリピンで体験したのは、「くだらん苦労」です。
これは、揺るがない事実です。(笑)
そして、「くだらん苦労は、しないに越した事はない。」と言い切ります。
「楽に生きろ!」とは言いませんが、「する価値のある苦労をすべきだ。」と言いたい。
また、「若者は、苦労すべき!」とも言いません。
何度でも言いますが、「意味のない苦労は、意味がない。」と言います。
もっとも、「徒労状態」に置かれても、劣悪な環境下ながらも、何かしらの「果実」をもぎ取ると言う「ド根性」は必要でしょうし、それを、あのマニラでの4年間で成し遂げたと言う自負だけは、ささやかながらありますがね。。
本カテゴリーはこちら。⇒ マニラの熱い夜

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