本日夕方、フィリピン駐在20年超の旧知のビジネスマンと新橋のスターバックスで1時間半のビジネスミィーティングをしました。
現地ビジネス情報の交換が目的なので、現地の治安、流行っているトレンド、物価水準、家賃、通信事情、現地IT事情、現地の最低賃金等、話題は多岐に渡りました。一通り、ビジネス情報を交換した後、彼がしんみりとした感じで話を始めました。
その話が、とても良かったので、紹介します。
フィリピンの平均的な家庭で育った若い女性が、ど根性で人生を切り開いていく話です。
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1.
今から10年近く前、工場生産マネージャーの彼の部下として、マニラの中堅大学を卒業したばかりの女性が入社した。主に、入力データの整理をしていたとのこと。
勤務は、月曜から土曜日の朝9時から夕方6時まで。勤務地はマニラ郊外の工業団地内にある工場事務所で、月給は、日本円で、3万円弱。
2.
淡々と仕事するタイプだったが、事務作業が正確なので、彼も目を掛けていたとのこと。2年ほど、彼の下で働いた後、「お金も貯まったので、看護師養成専門学校に行く。」と彼女は退職して、直ぐにマニラ市内の専門学校に入学。
3.
看護学校を卒業後は、マニラ郊外の病院で看護師の見習いとして勤務開始。配属は、誰もが嫌がる、ER。兎に角、残業に次ぐ残業で、休みもロクにない中、見習い看護師として奮闘し、ついには、正看護師となった。2年弱、この病院で働いたとの事。
給与は、残業代を含め、月給6〜7万円。
4.
その後、ネットで調べて、米国のフロリダの病院で、看護師の仕事を見つける。派遣看護師の様な形で勤務する事になったとの事。正規看護師ではないので、時給ベースだが、時給40ドル(5000円)で契約して、朝から晩まで働いたとの事。病院の寮があったらしく、また食堂もあったので、あまりカネがかからなかったとの事。年収は額面ベースで、1000万円。
5.
2年位、そんな感じで働き、つい最近、正規看護師に昇格したとの事。年収は、一番、下っ端のランクなので、800万円と落ちるが、正規職員として、色々な福利厚生が充実するみたいだし、また、米国永住権の取得も容易となる様なので、喜んでいるとの話。
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話としては、上記。
何一つ親から与えられた訳でもないのに、自らの人生を独力で、切り開いていったフィリピンの若い女性の強い意志に感嘆せざるを得ない。
この貧困化する我が国で、先が見えなくなり自暴自棄になりつつある若者が、何かを感じてくれたら、嬉しく思います。
尚、彼は、彼女がフィリピンの病院を退職した時に、日本の技能実習生制度を紹介し、日本での介護施設の勤務を勧めたとの事。しかしながら、彼女は、「半年とか一年、日本語学校に通って、やっと日本で勤務開始したと思ったら、月給10万円にもみたない薄給とか、あり得ない。それは、奴隷契約と言う。」とあっさり蹴ったとの事。
米国を選んで正解だよ!
貴重なお話を聞けて興味深かった
返信削除なんとなく引かれたレールを歩む生き方に安心してしまうが、レール通りに生きた結果の責任は自分がとらないといけないという事を忘れずに、納得できる生き方をすべく自分で人生のレールを引きたいと思った