2018年1月3日水曜日

朝生とギリシャ哲人と、Food Courtでのおしゃべり。

今年は、新年早々と言うか、年明け直後から、「朝まで生テレビ」と言う政治討論番組を見ておりました。(1時間半で、寝てしまったけれども。)
正直、退屈でした。。。。

突飛な意見も、極端な意見も、正論も自由に議論すれば良いのだけれども、議論に魂が入っていないと言うか、上っ面をみんなでくっちゃべっていると言う感じで、共感できませんでしたねえ。。。
東大で博士号をとった政治学者とかも出席していたけれども、「知識はあるんだろうけど、心が入っていないんだよなあ。。。」と言う印象でした。
まあ、政治オタクによる居酒屋でのおしゃべりと言う感じで、全然、イマイチでした。

魂が入っていない会話と言うのは、こうも退屈ですよねえ。。。
さて、今日は、正月3日で、街もまだ閑散としておりましたが、子供と一緒に昼食を食べたショッピングモールのフードコートで面白い話がありました。
隣に座った夫婦は30歳前後で、気の強そうな奥さんと優しそうな旦那と、1歳くらいの女の子が食事をとっておりました。
その奥さんが、旦那としゃべっておりました。

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奥さん 「明日から会社で、ちょっと憂鬱だけど、去年までと違って、今年はほぼどうでも良くなった。」

旦那 「え? どういうこと。。。」

奥さん 「だって、娘も生まれて、こんなに幸せなんだもん。会社の頭来る同僚とか上司なんて、本当に、どうでも良いと思い始めた。下らないとさえも思わない。ただ、本当にどうでも良いと思っている。言ってみれば、無関心。。。。」

旦那 「そうだね。。。去年はいい年だった。今年はもっと良くしようね。」
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古代ギリシャの哲学者は、アテナイの街に出て、市民と議論をすることで、思想を深めたとの事であるが、街の中の普通の人の会話にこそ、驚くべき真実があると思っております。

その意味で、フードコートで隣に座っていた夫婦の会話には、真実が詰まっていたと思うし、地に足が着いた会話だと思いました。
凄く深い会話だと貴公子は思いました。

それに比べて、朝生での討論は、出席者の落合陽一がつぶやいていたように、「空中戦」であって、ただの観念論であったと思う。

戦争について語るならば、実際に戦場で戦った事がある傭兵とか、戦火により被害を受けた難民の方、あるいは、ユニセフとかで勤務して、戦地の難民キャンプとかで活動している人とかが出演しないと意味がなく、「ただ、憲法9条を暗記してます。」のレベルの人がくっちゃべっていても、何の共感も湧きませんなあ。。。

地に足を着けよ!

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