さて、親しくしているビジネスマンが、エコノミストの勝間和代氏が主宰する、「勝間塾」なるものに熱心に参加しております。
貴公子的には、あのオバサン御婦人は、いつもカネの話をしているし、空理空論を言っているだけの優等生で、思想も甘いし、人間的にも魅力がないと思っております。
従って、全く関心がなかったのですが、その懇意にしているビジネスマンが、「今日の勝間メールは素晴らしかった。」と転送してきたので、読んでみました。
(末尾に全文を載せております。)
まず、勝間さんって、意外と、ナイーブなんだなあと言うのが、実感ですね。
こんな記載があります。
>つまり、資本主義は能力主義だと言われているのは間違いがないのですが、
>その能力が先天的に親や環境から得られたものなのか、後天的に自分が努力してい
>たものなのかということについての分析もされていないし、またそのバランスも
>決して良い社会とは言えないのです。
例えば、これですが、先天的な遺伝や幼少期の環境が、その人の人生に大きな影響を与えるのってのは、当たり前の話で、不公平だと言ったところで、しょうがない。
ここが不公平だと勝間氏は繰り返し、述べておりますが、50歳過ぎたおばさんが力説する様な「新発見」ではなく、普通は、10代後半くらいで、誰でも気が付く事ですよねえ。
現状は確かに、勝間氏の言う通りですが、我が国とか米国と言った先進国が良いところは、「120%の努力をすれば、追いついたり、追い越したりすることができる。」と言う公平性だと思います。
フィリピンには、4年間住んでおりましたが、普通の人がステージを上げるのは、実質的に無理な感じで、その意味では、日本は、遥かに公平だと思うし、なるべく公平であろうとはしている。
>特にこの問題について、日本で政治が問題だと考えています。
>私の理解では、現在政権を取ってる自民党というのは、能力や環境に恵まれた人達が
>自分の既得権益を守るために活動し、そしてそのような活動をする人達の支持に支え
>られてる政党だと考えています。
勝間氏は、意外にも、反エリート主義なんだなあとは思いました。
まあ、言っている事は、その通りだとは思いますが、これも、30歳くらいで、自然に理解する事で、そんな力説する様な話ではないと思う。。。
逆に、癇に触るのが、下記の記載です。
>確かにお陰様で私は子どもを育てながらもある程度の収入を確保できましたし、
>マッキンゼーにも入社することができましたが、確かにそれは私の努力が100%かと
>いうと、全くそんなことがなくて、おそらく私の努力は5%程度で95%程度はもとも
>と与えられた、遺伝と環境に下駄を履かせてもらったものです。
「私自身は、遺伝と環境が普通より良かった。凄いでしょう。」と言う風に読めて、不快。
貴公子の人生に於いて、「自分の遺伝子が凄いです。」と明言する人を、初めて見ました。
まあ、オモロイおばさんですねえ。。。
それと凄い上から目線を感じるが、勝間氏は、たかが、「しがないエコノミスト」であって、Eron Mask、Jobs、Trumpみたいな「成功者」でも何でも無い訳で、言ってみれば、普通の「おばさん」です。大体、御自慢のマッキンゼーだって、言ってみれば、たかがサラリーマンです。何度も言いますが、会社勤めしていると言う事自体が、超凡人の証明です。
まず、「自分は、一般的なオバサンでしかない。」と言う事を自覚するべきなのに、「自分の遺伝子が凄い。」って、50歳のオバサンが言いますかねえ。
正に、自己愛の塊の中二病ですね。
>「あなたが遺伝と環境に関して相当下駄をはかせてもらった高いところからスタート
>してきてるということについて自覚をしていないと、常に上から目線になるので、
>気をつけろ」(と友人からよく言われる。)
自意識誇大ですよ。
確かに、一般的な学校エリートは、30歳くらいまでは、「自分は優秀だ。普通より価値のある人間だ。」と思い込むのは、よくある事です。(貴公子もそうだった。)
ただ、30代前半以降は、いかに、自分が凡人か? を毎日、思い知っております。(笑)
50過ぎのおばさんが、こんな「選民思想」を持っていると言うのは、何かなあ。。。
全体的に、「幼く」見えちゃいます。
せいぜい、20代後半くらいの調子に乗ったガキの精神年齢程度にしか見えない。
勝間和代氏は、中二病が、50を過ぎても治っていない、稀有な人です。
自己愛と選民思想が、オバサンなのに、強すぎる。
50過ぎなのに、脳内お花畑状態で、幸せなオバサンですなあ。。。
(勝間和代テキスト全文)
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2月21日 木曜日
おはようございます。勝間和代です。
昨日はなぜ日本の多くの企業でダイバーシティーが進まないのか、それはダイバーシティーと、資本主義で利潤を求めるということは、現在では一部の企業しか方向性が一致していないからだという話をしました。
ただし、ダイバーシティーの社会においても能力が高いマイノリティについてはそれでも十分なチャンスがあるというお話をしたのですが、もう一度この能力が高いという文脈をどういう意味なのか、今日は一緒に考えていきましょう。
初日になぜ資本主義が発展したかというと、能力がある一部の人にしっかりとチャンスを与えて、その能力がある人達の能力を最大限に発揮して貰うことで社会全体が発展する仕組みを作ったというお話をしました。
まぁ、元々社会の成り立ちはそうであって、能力主義というのは今に始まったことではないのですが、さらに能力主義に血筋とか家柄による生まれを外し加えて資本という形で一部の人にその権限を委譲したことにより、能力主義が拡大してしまったのが現代社会です。
この能力主義のジレンマというのは、実際に私たちの社会がこれだけ豊かになり、テクノロジーが発展し、様々な恩恵を受けられるようになったのはまさしく能力主義の結果です。しかし、この能力主義のトレンドから取り残されてしまった人達にとって、この状況は決して優しくありません。
特にこれだけチャンスがあれば成功できるということを繰り返し繰り返し説明されてくると、まるで成功しなかった人はその人本人の努力が足りなかったかのように責められる可能性が高くなってる訳です。
あるいは既存のマジョリティーで自分の能力があまり高くないと自覚してる人はこれ以上の、能力主義において自分が損をする可能性が高くなりますので、女性労働者や外国人労働者のような新しいライバルについては、意識的にも無意識的にも常に排除することになります。
これがまた、能力が低い割に高い地位を与えられてる人ほど、ダイバーシティーに対して熱心でない背景です。
では、この能力主義というのは、それでも全ての人の底上げをし、全ての人に恩恵があるのかというと、また難しい問題があります。どのような問題があるかというと、
・親からもらった遺伝
・生まれ育った環境
この二つの影響が、能力に対してあまりにも大きすぎるのです。
私はちきりんさんが古い友人ですが、ちきりんさんと会っている時に特に独立して、色々な活動をし始めた頃、随分口を酸っぱくして言われたのが
「あなたが遺伝と環境に関して相当下駄をはかせてもらった高いところからスタートしてきてるということについて自覚をしていないと、常に上から目線になるので、気をつけろ」
ということでした。
確かにお陰様で私は子どもを育てながらもある程度の収入を確保できましたし、マッキンゼーにも入社することができましたが、確かにそれは私の努力が100%かというと、全くそんなことがなくて、おそらく私の努力は5%程度で95%程度はもともと与えられた、遺伝と環境に下駄を履かせてもらったものです。
もちろんそれぞれの人はそれぞれの素晴らしい能力を持っているので、決してどの人の能力が高く、どの人の能力が低いというわけではありません。ただそれでも現代社会においては特定の能力があまりにも高く評価される傾向があり、例えば
・論理推論能力
・言語能力
・生まれ持った性格の中で努力を継続できたり、外交的になれる能力
といったようなものを持っていると、それはまるで生まれた時から美人や美男だった人のように、本人の努力に関わらず、得をしてしまう訳です。
ちなみにここで美人や美男はお得だという話を書きましたが、これもはっきりと分かっていて、美人や美男というのは就職の面接の時にも有利ですし、その後の仕事の昇進機会やあるいは顧客の営業に対しても有利だということがわかっています。
しかし、このような生まれ持った影響の格差であるとか、美貌格差こそがまさしく資本主義のさまざまな困難を引き起こしてる正体でえるにもかかわらず、その部分についてはオブラートに包まれ、結果としてそれが能力覚醒に繋がり、収入格差につながるということについては、大々的には共有されていません。
つまり、資本主義は能力主義だと言われているのは間違いがないのですが、その能力が先天的に親や環境から得られたものなのか、後天的に自分が努力していたものなのかということについての分析もされていないし、またそのバランスも決して良い社会とは言えないのです。
それなのに社会でうまくいかなかった人は、その要因を
「本人の努力不足」
と決めつけて、福祉などにおいても十分なサポートをしないということが、現代社会の病理となっています。
実際に生活保護に関しては不正受給をしてる人達の叩かれ方というのは常軌を逸してるものがありますし、公正に受給している人達でもそのことを公にできないし、また公にしただけでも叩かれるという風潮があります。
そうは言っても、私たちはこの資本主義の仕組みを1人が明日変えることはできませんので、まずはこのような状況だということを理解した上に、その事に短期的には適応しつつも、中長期的にはどのようにこの問題を見極め、社会や政治に対して働きかけながら修正していくかということを考え続けるしかないのです。
特にこの問題について、日本で政治が問題だと考えています。私の理解では、現在政権を取ってる自民党というのは、能力や環境に恵まれた人達が自分の既得権益を守るために活動し、そしてそのような活動をする人達の支持に支えられてる政党だと考えています。
その典型が、まさしく今の首相と副首相で、彼らが安倍家や麻生家に男性や長男として生まれなかったら、あの地位にあったかどうかというのは甚だ疑わしいのです。そして、それは別に日本だけではなく、アメリカも同じでして、ブッシュJrやトランプが大統領に選ばれる構造も類似しています。
私が何が言いたいかというと、日本は能力主義だと言いながら自分がコントロールできない部分で形成される能力があまりにも影響が強すぎるということなのです、そしてそのことを、元々恵まれてる人達は自覚をしていないということがさらなる問題です。まるで自分が努力をしていたかのように勘違いをしているのです。
もちろん私は安倍さんや麻生さんが勉強熱心でないとも思いませんし、しっかりと自分の仕事を遂行しようと思ってる事についても理解をしています。しかし、自分達が相当底上げされたところからスタートしてるということについての自覚がどれほどあるかということについては甚だ疑問です。
私は生まれつきある程度恵まれた人に資本を集中させて、社会全体を豊かにするという仕組み自身はものすごい悪いことだとは思っていません、しかしその状態にうまく適応していけなかった人達に対してのケアや心遣い、そして様々な社会の富の再配分が十分だとはとても思えないのです。
もちろん社会全体が豊かになることで様々な富がしっかりと困っている人達にも配分される仕組みになるという概念は理解をしています。しかし、実績を見る限りにおいて、それが十分に日本で行われてるかというと、決してそうではないということが問題なのです。
そして、なぜそうかというと、元々日本全体がそこまで裕福でないからというのが私の結論です。ヨーロッパがなぜ富の再配分の仕組みが日本よりも上手くいってるかというと、これまでの資本主義や富の蓄積の期間が日本より長いからです。
したがって、現状はある程度日本がより成熟した資本主義に向かうにつれて解決する可能性は高いとは思っていますが、それでも現状どのような問題があるかということを常に私たちは見極め、共有し、自分自身もその罠に落ちないようにしないといけません。また社会全体でも自分が何ができるかを考え、少なくとも選挙の投票行動においては、この視点を持つことが重要でしょう。
いずれにしても、もう少し能力というのは、生まれ持った遺伝や生まれ育った環境で決められる部分があまりにも大きすぎて、その後の私達の努力が与える影響というのはもちろんゼロではありませんが、色々な人が思ってるほど大きくないと言うことを共有した上での正しい能力主義を資本主義という仕組みの中で皆で考えることが必要ではないでしょうか?