2014年7月8日火曜日

(USCPA) the gamblerと呼ばれて。

ちょっと昔話を。
今から、10数年前の30歳の時の話です。
貴公子が日本の一部上場企業を辞めて、比国で職探しをすると決めた時、当時、親しくしていた大学時代からの友人が、送別会を銀座で開いてくれました。
5〜6人程、集まってくれたと記憶しております。

送別会自体は、単なる吞み会であり、相も変わらず、アホみたいに呑んでおりました。
夜11時過ぎに、「ではお開き!」となったのですが、その時でした。
いつもはチャラチャラふざけている感じの奴が、別れ際にこう言いました。

「お前は、学生時代から、いつも極端な事をやって、周りを驚かせていた。
上手く事が運んだ時は、周囲に感動や驚嘆も与えていた。リスクをテイクして行動して、その結果として、大きな成果を出したこともあった。
その意味で、俺はお前の事を、ギャンブラーだと思っていた。
でも、今回の比国行きには、正に絶句した。お前が、そこまでのコメディアンだとは思わなかった。
でも、こうも思う。お前は、ただのギャンブラーではなく、ザ・ギャンブラーだ。」

当時と言うか、今でも彼のこのコメントは、貴公子の人生に於いて、最大の賛辞です。
この言葉を超える感動は、貴公子の人生の中でも、そう多くはありません。
一生、忘れる事のない言葉の一つですね。

それからの4年間に渡る、比国での国際フリーター生活は、御存知の通りです。
詳細はこちら。→→→ 「マニラの熱い夜、衝撃の序章

比国4年間は、貴公子にとって忘れ難い4年間であるし、あの時の思い出だけで、一生生きていけると思える程、強烈でありました。
そして、あの時の話は、今でも吞み会の時で、もっともウケる話です。
勿論、比国から、帰国してからも、色々な事がありました。
最近だったら、3年に渡る独学の末、多くの犠牲の上で、USCPA試験突破した事も、ギャンブルと言えるでしょうね。
そう、10数年前に友達が言った様に、貴公子は、ザ・ギャンブラーなのかも知れません。

でも、率直に言って、「公私の私」は兎も角、公の方では、あのギャンブルに見合う様な大きな飛躍はなかったですね。
つまり、大金を掛けて、ギャンブルをして、最終的に勝った筈なのに、それに見合う報酬が、「公私の公」の方では、無かったと言えるかも知れませんね。

そんな中で、ここ数カ月で、風向きが変わってきたと感じております。
きっかけは、間違い無く、USCPAライセンスを取得したことでしょう。
今の所、自分でも驚く程、USCPAのブランド力を感じております。
(このブランド力は、国際ビジネスでは、圧倒的に強力ですね。)

そうであるならば、ギャンブラーとしての報酬はどの位になるのであろうか?
比国で海外ビジネスマンとして、磨きに磨いた国際ビジネスパースンの素養に対しても、正当な報酬(勝ち金)を受け取ったとは思っておりません。

今こそ、全身全霊を掛けて、勝ち金の回収に向かいます。笑。
10数年前に、ポーカーで言う所のコールを繰り返し、勝負し続けて、そして負け続けて、最後の最後に、これで負けたら比国でノタれ死ぬという点で、全額勝負のALL INをして、勝負に出ました。
ザ・ギャンブラーとして、落ちる所まで落ちて、訳の分からない環境まで負け込んだ上で、最後のALL INで、ロイヤルストレートフラッシュを出して、起死回生した筈です。
その意味では、USCPAも、貴公子にとっては、ちょっとしたギャンブルでした。

今こそ、ビジネスマンとして回収に入ります。笑
特に比国では、訳の分からない所まで落ちたんだから、今度は、訳の分からない所まで、ビジネスマンとして、上り詰めたいと思います。

今夜は、ちょっと書き過ぎですね。
では、この辺で。
おやすみなさい。

0 件のコメント:

コメントを投稿