2017年12月16日土曜日

【今夜の名曲】 週末なので、軽くいきましょう! ~ ノスタルジアに浸る。


バブル初期の1980年代初頭に、荻野目洋子と言う歌手がおりました。
代表曲は、1985年のダンシングヒーロー。

当時もそこそこでしたが、最近、大阪の高校ダンス部が、この曲でダンス大会に優勝したとかで、再ブレークしたようですね。
Youtubeの再生回数が、32年の時を経て、急伸しているそうです。
あれから、32年ですね。。。。

バブル絶頂期の1989年に、貴公子は東京で高校生をしておりましたが、一セット10万円のスキーセットを、高校生が競うように買っていましたねえ。。。
そんなバブル末期に、浪人を経て、大学に入学した貴公子が嵌ったのが、パチスロでした。その頃のパチンコ屋(当時は、ホールとかパーラーと呼ばれておりました。)は、その多くがスロットマシンに比重を移しておりましたが、当時、大人気だった機種が、アラジンと言うマシンです。
ミニ

今みたいな規制がほとんど無い時代であり、あの頃のパチンコ屋は、賭場と言う雰囲気が凄く、貴公子もあの怪しい雰囲気に惹かれました。
学生時代の一時期は、プロを目指したものです。笑

さて、このアラジンと言う機種は、大当たり一発で10万円と言われたモンスターマシンで、学生やサラリーマン、OL、主婦が朝から、数万円を握りしめて、開店前のパチンコ屋に並んでおりました。
朝から打ち始めて、閉店までで、一日で20万円~30万円を稼いだと言う話は沢山ありました。今では信じられませんが、当時は、夜の民放番組で、2時間モノのプロのスロッター特集が毎週の様に組まれている様な時代でした。
そして、「ホールスタッフ」、つまりパチンコ店員は、人気バイト先として、学生が殺到したものです。
正に、一億総ギャンブラー状態でしたねえ。。。
そんな環境ですので、随分と、ギャンブル依存症を生み出して、当時は、社会問題にもなりました。
あれから、25年ですかあ。。。。

あの頃に比べると、パチンコ屋は最近は、随分と健全になった様ですね。
テレビコマーシャルで、パチンコチェーンが社会貢献を訴える時代ですからね。
まあ、ある意味、退屈な世の中になったものです。

そんなどうでも良いことを、ジョギングしながら、考えている内に、土曜日も終わりとなりますね。

1998年の相川七瀬のヒットソング、Nostalgiaです。
相川七瀬の曲は、基本的にどれも好きですが、この曲が貴公子的にはベストです。

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